和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

ノイズだらけの人魚姫

思い入れ

先週末、妻の中学校の同窓会が開かれました。妻の体調はその日になって見なければ分からず、道中で具合が悪くならないとも限りません。私は妻に同行することを提案しましたが、「ダンナ同伴は恥ずかしい」と即座に却下される始末。押し問答の末、下の娘が文句を言いつつも妻の一泊二日の里帰りに同行することで話がまとまりました。

 

週末に取り残された私と上の娘。私は久しぶりに映画でも見に行こうかと調べてみると、「リトル・マーメイド」の実写版が公開初日だと知りました。初日では席の予約も難しいかとぼやいていると、娘は、キャスティングに難ありなので見たくないと言います。恥ずかしながら、最新情報に疎い私は、実写版が公開されることやキャスティングにまつわる経緯すら知りませんでした。

 

もっとも、ディズニー映画は、これまでも原作を改変しています。アニメ版の「リトル・マーメイド」も、アンデルセンの原作とは全く違うエンディングが用意されていました。端からディズニー映画は原作とは別物なのだから、別物として楽しめば良いのではないかと思っていました。

 

しかし、一足先に実写版が公開されたアメリカでの鑑賞者のレビューを見てみると、ネガティブな評価の理由は、アニメ版のイメージを壊されたことから来ているのだと理解しました。私の知る限り「アンデルセンの原作と違う」と文句を言っているレビュワーは見当たりませんでした。

 

娘にとってもアニメ版の「リトル・マーメイド」は思い入れのある作品でした。つかまり立ちを始めた頃に近所のショッピングモールで買ったのが、「きかんしゃトーマス」と「リトル・マーメイド」のビデオテープでした。

 

とりわけ、「リトル・マーメイド」は娘のお気に入りで、ストーリーだけでなく登場人物のセリフまで覚えてしまうくらいに繰り返し見ていました。そんな娘は幼かった頃からの作品のイメージを変えられたくないという思いが強かったのでしょう。

 

実写版が良い意味で期待を裏切ってくれるかもしれず、食わず嫌いならぬ見ず嫌いもどうかと思いながらも、私は無理強いしませんでした。

 

ノイズだらけの人魚姫

空模様がはっきりしなかったこともあって、土曜日は家から一歩も出ず仕舞でした。

 

夕食後に娘が、アニメ版の「リトル・マーメイド」を見たいと言い始めました。数年前に断捨離して、残っているVHSテープは数本しかないので、お目当てのテープはすぐに見つかりました。

 

幼かった頃の娘は、どんなに機嫌が悪くても、「リトル・マーメイド」のビデオを流すと、途端にテレビの前で正座をして画面に見入ったものでした。その様子が微笑ましく、今でも思い出し笑いをしてしまいます。

 

主人公のアリエルは、オリジナル版だと何度聞いても「エリオール」にしか聞こえません。日本に帰国してから、娘は幼稚園で「アリエル」か「エリオール」かで友達と喧嘩して泣きながら帰って来たそうです。妻からそんな話を聞かされて、喧嘩の理由の他愛無さと娘の頑固さに癒されたことを思い出しました。

 

久しぶりに見た「リトル・マーメイド」は音声も画像もノイズが酷かったのですが、私や娘にとってはそれすら愛着を感じるものでした。