和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

本と音楽の古い話

八重洲ブックセンター

東京駅の八重洲口から目と鼻の先に八重洲ブックセンターがあります。開店当初、まだ小学生だった私は、新し物好きの父に連れてこられたのを覚えています。

 

今のようにネットの無かった時代は、自分の求める本を書店で探すのが楽しみでもありました。考えてみれば、近所の書店で“取り寄せ”するのが一番簡単なのですが、私にとっては、新宿の紀伊国屋、神田の三省堂、そして、八重洲ブックセンターがブックハンティングと暇つぶしのための場でした。

 

中でも八重洲ブックセンターは、学生時代から就職した後も通学・通勤の途上にあったので寄り道しやすく、長い間お世話になりました。

 

時には、何か買いたい本があるわけでも無いのに、店内を当ても無く歩いて偶然未来の愛読書に巡り会ったこともあります。今でも書店を訪れる時には、偶然手にするかもしれない良書との出逢いを頭の片隅で期待しています。

 

八重洲ブックセンターは、近隣の再開発のために来年の三月で営業を終了します。2028年にその地に竣工する大規模複合施設に再出店を計画しているとのことなので、しばらくは寂しい思いをすることになりますが、親しい知人との再会を楽しみにするような気持ちでその時を待ちたいと思っています。

 

大人の世界

今や書籍に限らず、大抵の物はショッピングサイトで購入することが出来ます。わざわざ店を訪れなくても、目ぼしい物をクリックすれば手に入れられます。さらに書籍や音楽などはダウンロードして読んだり聴いたりするのが主流になりつつあります。

 

我が家では、娘たちは各自好きなアーティストの楽曲を携帯電話にダウンロードしてイヤホンで聴いているので、親の私は娘たちの好みの曲がどのようなものなのか見当がつきません。本もタブレットにダウンロードしたものを読んでいるようですが、“紙の本”と違って貸し借りして読み回すには向いていません。

 

それで親子の関係が阻害されることは無いでしょうから、あまり気にする必要はありませんが、子どもの精神世界と私のそれとの交差する部分、あるいは重ね合わさる部分を探ることが出来ないのは、古い人間からすると、やや物足りない気がします。そんな話を娘たちにしてもピンと来ないようで、さらに、脇でその会話を耳にする妻は失笑するばかりで、私の思いは宙に浮いたままです。

 

私が子どもの頃は、親が読み終えた本を読んで大人の世界を学びました。“大人の世界”と言っても、単にエロティシズムだけではありません。人間関係の機微や男女の愛憎など、到底小学生には理解出来ない“大人の世界”です。理解出来なくとも、子供心ながらに大人になると何とも面倒なことに巻き込まれるものだと朧気ながらに考えたものでした。

 

父母の読書好きのお陰で、私は随分と背伸びをした読書少年の振りをし続けていました。かつて読んだはずの諸々の小説を大分後になってから読み返して、物語の本筋が理解出来た時、自分がようやくその本に追いついたと嬉しく感じられました。

 

名曲との再会

同じことが音楽にも言えました。昔住んでいた家のリビングの一角を占めていたステレオセット。父親には絶対に触るなと言われていましたが、親が不在の時を見計らっては父のLPレコードのコレクションから一枚抜き出すと、慎重にレコードプレイヤーに乗せて、さらに一層の注意を払って針をレコードの上に乗せるのです。

 

この一連の動作は、親の目を盗んで悪さをしている後ろめたさと大切なものに対する愛おしさが混ざり合った、形容しがたい気持ちにさせてくれました。

 

中学生になって、自分の小遣いで好きなアーティストのレコードを買うようになってからは、父親のコレクションには目もくれなくなりました。恐らく同じくらいの時期に、熱しやすく冷めやすい父は全てのレコードコレクションを売り払って別の趣味に乗り換えたと記憶しています。

 

それはさておき、私も高校を卒業した頃には音楽から距離を置くようになってしまったのですが、最近になって音楽熱が再発しました。今とても悔やんでいるのは、当時の私のレコードコレクションを全て処分してしまったことでした。

 

私は、かつて感動したアーティストのアルバムを求めて音楽サイトを見て回り、少しずつコレクションを増やし始めていますが、気まぐれに試聴をしていると、どこかで聞いた気がする曲に出くわすことがあります。

 

もちろん、似たような曲はこの世にいくらでも存在するので、私の気のせいであることがほとんどなのでしょうが、中には、父のコレクションのアルバムで聴いた覚えのあるものもありました。しかも、それが心に沁みるような名曲 - 私の個人的な感想ではありますが – だと、私もこの曲の良さが分かる歳になったのだと静かな感動を覚えるのでした。

 

アナログ人間の私にとっては、本や音楽の媒体が変わってしまうのは少し寂しい気持ちになりますが、良質のものが人に感動を与える力は、時代の波に浚われることは無いのでしょう。