和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

割ってもいい皿

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結果よりも過程

仕事にしても家事にしても、慣れないうちは試行錯誤の繰り返しで、やがて、手際良くこなせる域に達すると考えなくても体が勝手に動いてくれるようになります。そこまで行くと、もっと良くしようと意欲が湧いて来ますが、これが何年か続き、適当に手を抜いてもそこそこの結果が出せることが分かると、マンネリに陥ることになります。

 

作業が惰性にならないようにするためには常に新しい刺激が必要になるのですが、自分の好奇心を掻き立ててくれるような対象以外は、そのような刺激を求める続ける気持ちを維持するのは簡単ではありません。

 

私はせっかく興味を持って始めたことがいつか色褪せてしまうことに不安を感じます。ある程度のところまで到達した途端に熱が冷めてしまった趣味は少なくありませんでした。そのような自分の性格が分かってからと言うもの、好きなことに取り組む時はゆっくりと“到達するまでの過程”を楽しむようになりました。

 

満足のいく成果を得ようと悩んでいる状態を楽しむのはジグソーパズルに似ています。一時期パズルに嵌まった時期がありましたが、私の場合、毎晩数ピースだけ進めたら翌日に持ち越していました。完成させてしまうのがもったいない、ピースの置き場所を見つける過程を長く楽しみたいと言う気持ちが働きました。

 

妻は対照的に、徹夜してでもパズルを完成させることに喜びを感じるタイプでした。新婚時代のとある夜、私が飲み会で帰宅が遅かった日に、“あまりに暇だったから”と私のパズルを完成させてしまい、それが夫婦喧嘩の原因になったこともありました。

 

それはともかく、何かを会得した途端に興味を失ってしまったり、マンネリ化してしまったりすることを避けたい、到達することを先送りにしたいと言う気持ちは今も昔も変わりません。

 

のんびりにイライラ

しばらく前から趣味のギターを数十年ぶりに再開しました。ギターを止めてしまったのは、ある程度の域に達したからと言うのとは反対に、自分のイメージどおりに上達しなかったからなのですが、改めてギターを手にしたのは、上達するまでにかなり時間を楽しめそうだと思ったのも理由のひとつです。

 

その傍ら、私は何事も基礎が大事と考え、少しずつ音楽理論の勉強を進めています。しかし、これが家族には評判が良くありません。

 

何が不評なのかと言うと、私が買い漁った教本やノートで妻の物書き用のカウンターが占領され、そこで私が就寝前のわずかな時間、“お勉強”をするのを見ていてイライラするのだそうです。

 

確かに、傍から見れば熱心に何かに取り組んでいるようには見えません。あまり“勉強”が捗っているようにも見えません。使っている時間の大半は前日までの復習なのですから当然です。記憶力の衰えには抗えないので、無理に先を急ぐより、後戻りしてでも着実に理解する。三歩進んで二歩下がる – それが自分のペースに合っているのです。誰かと競い合っているわけではありません。

 

もっとも、妻や娘たちは、そのような“中高年のための学習法”はどうでもよく、さっさと終わらせて、“積読”になっている本を片付けて欲しいと不満を口にするのでした。

 

割ってもいい皿

少なくとも私に限って言えば、趣味と言うものは誰に強要されるものでも無く、見返りのあるものでも無い自分だけの世界です。ノルマも〆切も責任もありません。気楽に没頭出来てのんびりと楽しめればそれで満たされるのです。

 

自分の趣味をあえてそのように楽しもうとしているのは、学生時代から会社員時代までずっと目標や課題に追われ続けて来たことへの反発からなのかもしれません。

 

要求されたことに専心せず、不要なことに心を燃やす。私にとって、仕事と趣味はテーゼとアンチテーゼなのでしょう。もっとも、仕事と趣味はパラレルな関係ではないはずで、私がいつか仕事の呪縛から解放された時には、時間を気にせずに趣味に没頭する日が来るのかもしれません。

 

仕事と趣味。仕事と家庭。仕事と自分。学生時代は“勉強”だったものが“仕事”に置き換わっただけで、不自由さを感じさせるものがいつも自分の頭の中について回っていました。

 

両立、バランス、やり繰り。言葉は異なりますが、全て“仕事有りき”を前提としたものです。失敗してはいけない皿回しやジャグリングのようなもの - かつての私はそのように考えていましたが、一方の皿は落としてしまっても、大して失うものなど無いことに気がついてからは心が楽になりました。

 

失うとしたなら、それは面目やプライドと言ったところなのでしょうが、それは自分の虚栄心が作り上げただけのものです。それとは別の – 比較してはならない - 大切なものがあるのですが、それに気がつかないと、割ってはいけない皿の方を落としてしまうことになります。