和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

愛すべき自分

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

大切な存在

自分にとって一番大切な存在は自分自身だと私は思います。

 

追い込まれて悩んでいる自分を嫌い、時には憎んでしまう人がいますが、一番大切な存在である自分自身を愛することが出来なければ、自分が大切にしたいと思っている人々を本当に愛することは出来ません。

 

自分の言動に嫌気が差し、爆発しそうな感情をギリギリのところで抑えているような状態にあるのなら、そんな我慢を続けるよりも、まずはその原因を取り除いて、自分を好きになることが大事だと思います。

 

自分を愛せない自分本位

時間も経つのを忘れてしまうくらいに夢中になれる仕事。残念ながら、私の会社人生では一度もそんな仕事に携わることはありませんでした。これまで任された仕事は、大概、〆切に追われたり、社内調整に腐心したりと、心の休まる暇すら許してくれないものでした。それでも、若い時は先輩からの叱咤激励もあり、私は仕事に対して前向きでいられるように努めてきました。

 

ところが、私の仕事に取り組む意欲は、突然空回りし始めました。精神のバランスを崩しての休養。自死への衝動。それは、私自身の弱さの表われですが、今になってみると、その一言では片づけられないと考えています。

 

思い詰めてしまうほどに自分を追い込んでしまった自分自身がそこにいました。職場での承認欲求や見栄。自分はそんなものとは無縁と考えていましたが、改めて当時の自分の心の状態を思い返してみると、仕事で成果を上げたい、上司や同僚に認められたいと言う欲が確かにありました。 

 

自分のやりたい仕事に純粋に取り組みたい。そのような、就職当時の初心はいつしか忘れてしまい、仕事の進め方に疑問を持ちつつも知らず知らずに会社人間になってしまっていました。

 

家族との時間を削り、深夜残業や徹夜でこなしてきた仕事もありましたが、それは、自分が夢中になって取り組みたかったものではありませんでした。

 

そのような仕事を続けるにはモチベーションが必要でした。職場で認められれば、やがては自分のやりたい仕事にたどり着ける。働いて給料を稼ぐことは、家族のため、自分のため。家族を置き去りにしていることに後ろめたさを感じないはずは無いのですが、当時の自分は、自分を正当化することしか考えていませんでした。

 

ひと度自分が置かれている立場を正当化してしまうと、それを自ら否定するのは容易なことではありません。“ブレる”ことを自分で認めたくないからです。そして、職場に対する不信感や仕事の苦痛から目を背けることになります。

 

不本意な状況。それを無理やり正当化している自分を愛することなど出来ません。それに気づかずに、歪んだ自分本位に走ってしまった結果、私は、自分と言う存在を見失ってしまったのでした。

 

愛すべき自分

自分や、自分にとって愛すべき存在は、いつもそこに当然のようにいてくれるため、改めて大切さに感謝することが少なくなってしまいがちです。そして、相手も自分のことを愛してくれていると - 口に出さずとも - 期待しがちです。

 

「自分」が「そこに当然のようにいてくれる」とは、奇異な表現かもしれません。しかし、かつて私は、就寝前に、このまま眠りから覚めなかったらと言う不安に苛まれたことがありました。朝目覚めて、自分の体がそこにあり、自分で考えることが出来る頭があることにほっとする瞬間。そのような不安と安堵を繰り返してきました。そのため、自分がここにいることを有難いと考えています。

 

自分の存在の有難み。それだけで十分なはずなのに、かつての私は、その有難みすら感じることも出来ず、自分にさらなる見返りを求め、そして、周囲にも見返りを求めて日々生きていました。

 

毎日、家族のために働いている自分。その大変さをきっと家族は分かってくれている“はず”。急な接待を理由に、家族が用意した夕食に手をつけなくても、“大切な仕事”が入ったからと、家族のイベントや約束をすっぽかしても、それは、“家族のため”。きっと理解してくれる – と言う家族への期待。

 

結局は、そうやって都合の良い言い訳を使って、私は家族を犠牲にしてきました。“犠牲”とは大袈裟過ぎるのかもしれませんが、多少なりとも私に対する失望を家族に与え続けてきたのだと思います。

 

私の家族は、妻と娘ふたり、そして私の四人家族です。しかし、家族との関わり方を改めて考えるまでは、私の頭の中では我が家は三人家族でした。

 

単に、私が家を空ける時間が多かったと言うだけではありません。自分の視界の中には妻や娘たちはいるものの、自分は含まれていない。家族と共にいても不意に襲ってくる疎外感。

 

私にとっての30代後半は、その疎外感を払拭するための、家族との関係性を見直すための時間だったのだと思います。

 

自分や家族を俯瞰的に見てみると、家族の中の自分の立ち位置が良く分かります。自分は、その“家族の中の自分”を好きになることが出来るのか。好きになるためにはどうしたら良いのか。その答えを得るまでに、私はかなりの時間をかけて自問自答を繰り返しましたが、答えは至極簡単なものでした。見返りを期待せず、与えることに喜びを見出す。それが私にとっての、愛すべき自分を取り戻すための答えでした。