和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

食わず嫌いをやめてみると

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

視野を狭める思い込み

物事に対する好奇心は、若い時ほど旺盛だと勝手に決め込んでいました。思春期に刺激を受けた映画や音楽は、眉間に釘を打ち付けられるような強い衝撃を伴い、その残像はいつまで経っても消えることはありません。それらは、その後何十年経っても自分のお気に入りリストの上位に居続けています。

 

歳を重ねながら新たな刺激を求め続けても、若い頃の“あの”衝撃に出会うことなど無いのだと諦めていました。

 

思うに、若い時は直感的に分かりやすい作品を求めていました。私の場合、音楽はメロディーがキャッチーで簡単に口ずさめるものを好んで聞きました。中学生の頃にギターを手に入れたきっかけはブルースに惹かれたからでしたが、私は勝手にこれぞ自分の趣味だと思い込んでいました。思い込みは自分の視野を狭めてしまうことに気がついていなかったのです。

 

高校に入って、ジャズ研に属していたクラスメートからジョン・コルトレーンマイルス・デイヴィスのレコードを借りて聞いてはみたものの、どこをどう聞けば良さが分かるのかすら分かりませんでした。音の塊は耳に届くものの、心には残りませんでした。「これは自分の趣味では無い」。

 

当時の私にとって難解で理解不能なジャズの面白さに再会出来たのは、恥ずかしながら今年に入ってからのことです。

 

再会

上の娘は、中学、高校とマーチングバンドやシンフォニックバンドでトランペットを吹いていたのですが、帰国してから愛器を手にしたことはありませんでした。

 

ところが、私が最近になって何十年ぶりにギターを手にするようになったことに刺激されたのか、彼女も休日の楽しみにとトランペットを吹き始めるようになりました。そして、彼女の部屋から聞こえてきたのは、「私の趣味では無い」はずのジャズでした。

 

聞くと、職場の同僚から勧められたアーティストの曲をダウンロードしたとのこと。アルバムタイトルや曲目を見せられても私の知っているものがあるはずは無いと思っていたところ、何とマイルス・デイヴィスの名前がそこにありました。

 

その曲が、私が高校生の頃にジャズ研のクラスメートから借りたレコードに含まれていたものかは分かりませんでしたが、スピーカーから流れ出るトランペットの音を、今になって私は“おしゃれ”と感じたのです。歳を取れば耳の感度は衰え、感性は鈍るものだと勝手に思い込んでいた私にとって、自分の心の中にまだ何かに惹きつけられる初心な部分が残っていることに驚きを感じました。

 

新たな趣味

以来、私はこっそりとジャズを“嗜む”ようになりました。“こっそり”と言うのは、年甲斐も無く新しいものに熱を上げ始めたことを娘に冷やかされないためです。

 

思えば、件のジャズ研のクラスメートとは、高校を卒業して以来再び会うことはありませんでしたが、当時彼が口にしていた“スウィング”や“レイドバック”の意味とその良さが、この歳になってようやく理解出来るようになった気がしました。それと、音の塊が音の連なりに変わり、やがて意味のある旋律として聞こえるようになったのは、新たな発見でした。

 

新しい趣味を見つけた喜びは確かにあるのですが、私としては、なぜ、高校生の頃にこの喜びを見出すことが出来なかったのか、それを知らずにここまで歳を取ってしまったことに軽い後悔の念を覚えました。

 

そんな新たな発見から得た教訓は、食わず嫌いならぬ“聞かず嫌い”や“やらず嫌い”は、自分にとって損だと言うことでした。そして、実はまだまだ自分の回りにはそのようなものが多く隠れているのではないかと思い始めたのです。

 

ギターを再開して、ブルースのスコアを再び手に入れたものの、ギターの世界でも知らないジャンルは多々あります。ジャズも然り、ロックやソウル、ファンクも今までまともに聞いたことはありません。民族音楽クラシック音楽の中にも私の心を掻き立ててくれるものがあるのかもしれません。

 

新たな楽しみを発見するには、時間がいくらあっても足りません。しかし、そう思える趣味に出会えたことは、この後の人生の励みになるような期待を感じることが出来ました。

 

食わず嫌いは音楽に限った話では無く、最近気まぐれに古い映画を見た時にも同じようなことを考えました。派手なアクションや“衝撃の”ストーリー展開など、エンターテインメント性に優れた作品とは別の楽しみがそこにありました。

 

古い映画には、演出やセリフ回しなど、いかにも演じていますと言ったわざとらしさがありますが、それでもストーリーに引き込まれるのは、そこに本物の良さがあるからなのでしょう。

 

良いものは時間の波に晒されても劣化することが無いのだと思います。私は自分のことを、本物の良さが分かる年齢に達したのだとは言いません。食わず嫌いを止めただけなのです。