和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

会社人生の余生

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何事もなく過ごす

最近では、部下を引き連れて夜の街に繰り出すなどという機会もほとんど無くなりました。部下を労おうとしてパワハラだと思われたら、と考えて二の足を踏む管理職が増えてきています。私もその一人。

 

若い頃、仕事が忙しい時に限って上司が飲みに誘ってくることが多々ありました。当時は上司と飲みに行くことも仕事のうちという考えがまだ残っていた時代。煩わしいという思いを飲み込んで上司に付き合う私でした。

 

部下と飲みに行くことが減ったため、本音を聞き出すチャンスが無いと嘆く管理職もいますが、それは違います。普段の部下との他愛ない話からでも彼らが何を考えているかを察することは可能です。もっと言うと、普段会話の無い部下を飲みにつれて行っても本音を聞き出すことは難しいと思います。

 

飲み会にせよ、勤務時間中の面談にせよ、若手社員と話をする中で気になるのは、彼らがあまり昇進することに熱心でないこと。皆が皆でないとは思いますが、給料はそこそこ貰えればいいのであまり責任を負いたくない、ということをよく耳にするようになりました。

 

何故と聞くと、「部長や課長のように仕事漬けの生活は無理です」と一言。私は言葉を失ってしまうのでした。こちらも好きで時間後に仕事をしているわけでは無いのです。一般社員の残業時間を減らすよう上からの指示があるため、管理職にしわ寄せが来ているのです。

 

若手社員の名誉のために言うと、彼らは決してやる気が無いわけではなく、任せた仕事はきっちりと仕上げます。むしろ、私の若い頃に比べてよく勉強していて要領も良い。ただ、プライベートの時間も大切にしたいということなのだと思います。その点においては、私は彼らを見習いたいと思っています。

 

他方、社内の別の階層にも“あまり責任を負いたくない”と考える人たちがいます。一部の役員のことです。双六の“あがり”一歩手前。給料はそこそこどころが、たんまりと貰っているはず。それだけ責任は重大なのですが、ここで大きな賭けに出て火傷を負うよりは、何事もなく過ごすことを選んでいるようです。

 

そうなると、下から画期的な業務改革の案が上がって来ても、結論は先送りにされてしまいます。そうやって時間切れ、すなわち自分の退職までやり過ごそうという魂胆なのでしょう。

 

勝ち逃げ

我が社では、昨今の業績悪化や人材流出問題に端を発し、人事制度や役員報酬制度の見直しをする動きがありましたが、それらが骨抜きにされたのも経営陣の決断力の無さが原因です。年功序列の段階的な撤廃や成果主義の導入など一定の成果はあったものの、役員数の削減が“廃案”となったのは、正にその恩恵を受けている役員自身が反対したためです。志の高い役員もいるのでしょうが、勝ち逃げを狙っている役員の数が勝っていたのでしょう。

 

思えば、あと数年で“あがり”を迎える身にとって、会社の将来が気になることは無いのです。あとは野となれ山となれです。

 

そんな経営陣に半ば失望の念を抱く私ですが、自分も30年近くこの会社に身を置いてきて、何か会社を変えようとしてきたかと自問すると、その答えは“ノー”です。

 

若い時はそれでも、会社をもっと良くしようという気持ちがありました。しかし、定年がもうすぐそこに見えてきた今、会社に大きな変革を、という気概が湧いてきません。結局は私も“何事もなく過ごしてきた”人間の一人だったのです。

 

残された者たち

社内には自分の後輩の将来を真剣に心配している役員もわずかですが存在します。今の若手や中堅社員が、この後定年まで安心して我が社で働けるような“財産”を残しておきたい。そのような熱い思いに共感する幹部社員も少なからずおりますが、私としては今一つ“熱く”なれない自分を感じています。

 

これまでの経験から、会社という大きな“生き物”がそう簡単に変われるわけがなく、天下り役員が牛耳っている組織に変革をもたらすことは、ほぼ絶望的だと考えるからです。こんなことは、私の後輩に対して口が裂けても言えません。まだ社内には、会社を変えようと言う志を胸に秘めている若者がいるからです。

 

会社がこの先どうなるか分かりません。私は会社に対しての愛着はありません。とは言え、自分の部下たちには、どこに行っても困らないような知見や経験を身に着けてもらいたいと思っているのです。これからの時代、一つの会社で一生を終えるよりも、自分の実力をもって新たな活躍の場を見つけていくことの方が主流になるのではないかと思います。

 

管理職である私は、多くの役員同様に“会社を良い方向に変えることができなかった”という点で同罪です。そう考えると、私自身は年齢的にも新たな活躍の場を見つけることはまず不可能ですが、残された会社での“余生”を後進の指導に充てることで、せめてもの罪滅ぼしをしたいと思っています。