しわ寄せの行き先

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誰も反省しない反省会

自分で計画を立て、責任を持って実行する。事業は結果が全て。結果責任は計画立案者と実行者が負う。至極当然のことです。

 

しかし、長期に亘るプロジェクトでは、当初の計画通りに事が進んだかを見極められる頃には、計画を立てた者はすでに別の部署に異動していたり、あるいは退職していたり、ということが往々にしてあります。

 

失敗したプロジェクトの場合、何が原因だったのかを究明しなければ同じ過ちを繰り返すことになりかねません。計画に不備があった? 実行方法に問題があった? 想定外の環境変化が起こった? 

 

私の勤め先でも、終結した事業の“振り返り”を行います。事業発足時の計画と実績の比較。事業から得られた教訓・反省。ところが、そのような反省会は大概とても“手ぬるい”ものに終わります。

 

ひとつには、計画立案者が出世して役員になっているケース。計画に不備があった、あるいは見通しが甘かったこと自体が事業の失敗だとしても、それを表立って指摘すると自分たちの上司を糾弾することになる。それに対する意趣返しを恐れて、原因究明を手加減してしまうというものです。

 

また、社長直々のプロジェクトの場合には、事業が失敗したこと自体を認めることができません。非を認めるどころか、失敗したことすら認めない、というのは呆れてしまいますが、それ以上に、失敗したことは脇に置かれ、“一定の成果が得られた”などと実態が歪められて結論づけられるのを見ると憐れみすら感じます。

 

これでは、新しいプロジェクト作りのための知見が何も蓄積されません。私は事業部側の人間なので、社内では“批判される”立場の人間ですが、反省会の資料を作成し、事前に上司である本部長に見せると、内容を骨抜きにされることがほとんどです。良い言い方をすれば、誰も傷つけない表現、悪い言い方をすれば、責任の所在が曖昧な表現に変更を強いられます。

 

批判者である管理部門からして見ると、“反省の色が見られない”資料に出来上がってしまうのですが、経営陣からの鋭い指摘はほとんどありません。企画部門担当の役員からは辛辣なコメントが飛び出すことになるのですが、それ以上のことにはなりません。

 

責任者はもういない

長期に亘るプロジェクトの中には、塩漬けになったまま、売却したくても売り手がつかず不良資産となってしまうものもあります。投資判断をした当時の役員はすでに退任し、責任を問う相手がいません。結局、問題を先送りにするということは、事態をより悪い方向に進めるだけでなく、判断を間違ったことについての原因究明すら不可能にしてしまいます。

 

責任者がいない、自分も責任者ではない(むしろ、厄介な仕事を引き受けさせられた被害者だ)という状況では、プロジェクトの失敗は他人事であり、そこから何かを学ぼうという気概も生まれないのでしょう。

 

もちろん、ワーキングレベルでは話は別です。プロジェクトの振り返りにおいて、失敗の責任所在はどうでもいいことであって、それよりも、過去事例の検証と再発防止策の検討に主眼が置かれます。そのためにも、本来であれば当時の関係者へのインタビューが必要なのですが、自分に非があると思っている人間に限って、言い訳に終始して失敗の原因近づくことができません。

 

尻ぬぐいをした者が負け

事業の立ち上げや遂行の過程で、そこに大きな判断の誤りがあったとすれば、誰かがその責任を負うべきなのです。ところが、事業の立ち上げを任された者は、数年後、数十年後を見据えて会社に貢献できるプロジェクトを創設するという観点よりも、新しいプロジェクトを立ち上げること自体を目的にしてしまう嫌いがあるため、判断に甘さが生じがちです。

 

私はこれまでプロジェクトの運営に関する仕事しかしたことが無いため、新たな事業を立ち上げる仕事の大変さを身をもって体験したことがありません。しかし、経験者の話を聞くにつけ、心身ともに多大な負担を伴うものであるようです。そうなると、構想段階から社内承認までに時間をかければかけるほど妙な愛着が湧いてきます。何とかしてプロジェクトを立ち上げたい。経済性が多少悪くても、将来の見通しなど誰も正確に予測できないのだから、やってみなければ分からないではないか、と言った自分にとって都合の良い解釈を行うようになってしまいます。

 

そのようにして生まれたプロジェクトだけではありませんが、結果として失敗してしまったプロジェクトについて、共通した、かつ、最大の原因は、やはり立ち上げ時の見通しの甘さなのです。

 

私がかつて事業運営を担当したプロジェクト、そして、現在任されているプロジェクトも見通しの甘いものでした。思えば、事業立案者がその後、運営まで一貫して担当したケースがほとんどないため、彼らは事業運営の難しさを知りません。それが、立ち上げ時に甘い見通しをしてしまう要因なのでしょう。

 

私がことある毎に上司から釘を刺されるのは、他人の責任を被るなということです。上司は役所からの天下りなので、同じ天下りの社長からの評価を神経質過ぎるほど気にします。自分にとってマイナスになるものは極力排除するという処世術が染みついているのです。万が一プロジェクトが失敗しても、運営側に責任が及ばないようにしろ、ということです。

 

とは言っても、事業運営を担当すること自体、誰かの尻ぬぐいをしていることになるのです。事業そのものが利益を生むような優良なプロジェクトならいざ知らず、事業利益がマイナスとなれば、それを如何にプラスにするかが運営担当部署の“腕の見せ所”であり、また、事業立案者の顔を立てることにもなります。また、他人の尻ぬぐいはするな、と言いつつ、事業立案者が現役の役員であれば、その顔に泥を塗るようなことは避けたいという意向が働きます。要は、尻ぬぐいするかしないかも上の顔色を見て判断するのです。

 

小学生でも分かるような言い方をするならば、企業の存在価値は社会貢献にあると思います。そこでは、“私”ではなく“公”が優先されるはず。会社をより良くしたければ、まずは失敗を正面から受け入れることが必要だと思います。また、別の社員の尻ぬぐいは自分にとってのしわ寄せではなく、会社をよりよくするためのサポートだと捉えることも重要だと考えます。