和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

変化への対応、その攻防 (1)

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上司部下の距離

変化への対応。簡単なようで簡単では無いもののひとつです。慣習や固定観念は、それに長く浸っているほど抜け出すのは難しくなるものです。

 

私自身、若い社員と話をしていて、彼ら・彼女らが上の人間に期待することを耳にすると、しばしば、ちょっとそれは違うのではないかと違和感を覚えることがありますが、それは私が古い人間だからであって、若い人たちを諭すだけで無く、こちらが“今”の風潮に歩み寄らなければ、世代間のギャップを埋めることは出来ません。少々の諦観を抱きつつも気持ちの切り替えが必要なのだと、自分を納得させるようにしています。

 

若い社員との会話でよく話題に上るのは、“相談しやすい上司”についてです。話やすさは、私が若い頃も上司に期待することのひとつではありましたが、それは、経験の浅い人間の戯言も懐の深さで受け止めてくれる人物像を思い浮かべてのことでした。

 

ところが、今の若い社員の、上役に対して期待する人物像は、教えを乞うと言うスタンスでは無く、他愛の無い愚痴でも嫌な顔せずに聞いてくれる相手のようです。

 

私の感覚からすると、家族や親しい同僚には仕事の愚痴を吐くことはあっても、自分の上司は不平不満を漏らす対象とは考えづらいのですが、それも私が古い人間ゆえなのでしょう。

 

思うに、子が親を名前で呼ぶような“フレンドリーな親子関係”も良しとする風潮なのだとすれば、上司・部下の関係性も友達感覚に近づくことが非では無いと受け入れられてもおかしくはありません。

 

「ノー」と言える関係

かつて、私の部下で、私や先輩社員に対しての態度があまりにも打ち解け過ぎていたため、それを注意したことがありました。

 

彼は帰国子女で、会社の古い体質を外国企業と比較して揶揄することが多々あったのですが、実際に外国企業に勤めた経験などありません。おそらく、親などから聞きかじった知識の受け売りだったのでしょう。

 

私の勤め先の保守的な社風が良いとは言えませんが、闇雲に外国企業を手本にすれば良いと言うものでも無く、また、代替案の無い批判や、批判だけして行動を起こさない者に耳を貸す者はいません。

 

「○○さんだって、駐在していれば、うちの会社が古いって分かるでしょ」。彼は私が窘めると、いつも口を尖らせて文句を言ったものです。私は部内では、お互いに役職では無く名前で呼び合うことや、忌憚なく意見を言い合える風通しの良さを維持しようと努めていましたが、それと、言葉遣いや年長者に対しての礼儀は違う話だと思います。

 

たしかに、私が出向していた外国企業では、上下関係はとてもフラットでした。役員以下が会するお堅い会議の場で、下っ端のスタッフが足を組んだり、肘をついたりしながら上役の話を聞いても誰もそれを咎めません。上司と部下の関係も日本の会社と比べるととても近いと感じました。

 

しかし、それは、文化の違いなのです。フレンドリーと馴れ馴れしいのとは違います。実際、彼ら・彼女らは、自分の上司に対する物言いと同僚に対するそれをきちんと使い分けていました。一見、オープンに見えていても、相手の立場を尊重する配慮は大切にしているのだと思います。

 

翻って、日本には日本の文化があるので - 何十年後にどうなっているかは分かりませんが - 日本の会社の中で、事あるごとに「外国では云々」と不平を言うのは意味を成さないことです。

 

もちろん、ひと昔前のように、上下関係を絶対視する人間など最早化石のような存在です。年長者は歳を重ねていることだけで目下の人間に対して傲慢であってはならず、言葉使いにしても然りです。今でも役員の中には、たまに部下のことを「お前」と呼ぶ者がいますが、私はその都度、名前で呼ぶように諫めることにしています。

 

悪しきしきたりは変えなければなりませんが、何かを変えて行こうとするときには、風潮や文化の変わり具合を見ながら慎重に動かなければならないと思います。そういう意味で、私は、フレンドリーな関係を期待する若い人たちにも、当面は職場での言葉使いには一定の配慮を払ってもらいたいと考えているのです。

 

「親しき仲にも礼儀あり」とは別の意味で、仕事上の距離感は大切です。あまりにも親しくなり過ぎると、「これを言ったら相手は気を悪くするだろうか」とか「ギクシャクしてしまうのではないか」と良好な関係を壊したくないと言う意識に目が行ってしまいがちですが、上司も部下も、お互いに「ノー」と言わなければならない時が来ます。それでも業務に支障を来たさないのが仕事の上での良好な関係です。会社は親睦会や仲良しクラブとは違うのですから。

 

上司や先輩に対して最上級の敬語を使えと言うわけでは無く、仕事関係の上での一定の距離を考えてもらいたいと言うことなのですが、これは、古い人間から若い人たちへの無理難題の押し付けなのでしょうか。(続く)

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