過去の苦い経験がフラッシュバックすると、たとえ楽しく過ごしていても途端に不快な気分になってしまうことがあります。
自分の意思とは関係なしにつらい思い出が頭を過るのは、それらがまだ自分の中で消化しきれていないためなのでしょう。
以前の記事でも何度か触れましたが、四十代くらいまでの私は、嫌な思い出が首をもたげると無理に払拭しようしたり、蓋をして閉じ込めておこうとしたりと苦しんでいましたが、今は静かに受け止められるようになりました。
私が今大切にしているのは、この瞬間の心の有り様です。もし、静かな水面のように波紋一つ立たっていない穏やかな状態であれば、それは万事うまく行っている証拠です。
逆に、胸の奥でざらついた不快な感触を覚えたなら、その日、あるいはつい最近何か嫌なことがあったのでしょう。気にしないつもりでいても、指先のささくれのように自分につきまとう不快感。そんな時に限って過去の経験の“セレクション”から苦い思い出が登場することがあります。
昔の自分なら、不快な気持ちに輪をかけて過去のトラウマとも言える負の経験が襲ってきて居た堪れない状態になったことでしょう。
そんな風にして自分を追い込んでみても良いことはありません。解決できない問題はいくらでもあって、そのような問題を気にかけても解決できないものは解決できないのです。
反対に、独力で解決してきたこともそれなりになったはずですが、以前の私は悪い方ばかりに目が行っていました。同様に、過去の負の記憶は自分が解決できなかった問題であり汚点なのだと考えていたのだと思います。
今は、楽しい記憶も苦しい記憶も全て自分にとって貴重な財産と考えられるようになりました。過去の記憶も現在の自分の心の状態も、あるがままに受け入れるのが一番シンプルで楽です。もっと早くに気づいていればと思いたくもなりますが、そう考えること自体詮ないことです。
今回はとても抽象的な話になってしまいました。