和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

義兄の暴走(2)

寄進

十年ほど前に義母が亡くなった後、妻の兄弟姉妹は遺産相続で揉めました。空き家となった実家と預貯金。義兄は実家を処分することに大反対で、自分が実家を管理することと、管理費分として現金を多めに相続することを主張。兄弟姉妹の間での長い話し合いの結果、他の兄弟姉妹は根負けして義兄の言うとおりに事を進めることになりました。

ところが、今回妻に届いた手紙で、義兄が菩提寺に多額の寄付をしていたことが“発覚”しました。檀家向けの会報に自分の寄付の記事が掲載されたことが嬉しかったのか、手紙には会報のコピーが添えられていたそうです。そこには亡き両親から譲り受けた遺産をお寺に寄進したと書かれていて、これに妻は不満を抱いていました。私は、菩提寺への寄付によって義兄の心が満たされるのであれば悪いことではないと思いましたが、他の兄弟姉妹からすれば、「話が違う」となるのでしょう。

 

自己中心度

妻は、今回の義兄の件で一悶着あることを予想し浮かない顔になりました。冗談とも本気ともつかない様子で「(義兄の)ボケが始まっているのかもしれない」と溜息を吐きます。

今年のお盆には久しぶりに兄弟姉妹で集まりたい ― 義兄はそう言っているようですが、決して楽しみな集まりにならないことは想像がつきます。

元々独善的な嫌いのあった義兄ですが、今回の菩提寺への寄付や家庭内トラブルの仲裁願いは、妻の目から見ると“自己中心度”がだんだん酷くなって暴走し始めている気がするそうです。

兄弟姉妹それぞれの家庭は、すでに子育てや仕事などの山場を乗り越え、肩の荷の軽い人生を楽しめるときを迎えているはずですが、それまで自負してきた親としての役割や会社での肩書が外れた後の“自分の存在意義” が怪しくなると、身内に心配してもらったり、誰かに感謝される行為をしてみたくなったりと、じっとしていられなくなるのかもしれません。