和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

家事負担の難しさ

家事負担の難しさ

一昨年、妻が手術を受ける際に約二か月間介護休業を取得しましたが、その時に、仕事をそのまま続けながら家事代行や介護のサービスを利用することも考えました。

 

介護休業の間は会社からの給与は停止され、雇用保険から介護給付金の支給を受けることになりますが、給与相当額が満額もらえるわけではありません。

 

働き方を変えずに妻の介護や家事も滞りなく行なう方法を模索しましたが、私が介護休業を取ることに決めたのは、損得勘定ではなく自分がどうしたいのかを考えた結果でした。

 

手術前の約半年間、妻は抗がん剤の投与を行なっていたため、すでにその時から私と娘二人で家事を分担しながら進めようとしていました。

 

しかし、“当番制”は負担を公平に分かち合えるとの期待に反して、親子の間がギスギスするようになりました。それぞれが仕事や学業を抱えている中で、今日は家事に専念する日、今日は仕事に、あるいは勉強に専念する日、と切り替えるのは簡単なようでそうではありませんでした。

 

我が家の場合は、試行錯誤の結果、私がメインで娘たちがサブ、といった立ち位置で家事を回すのが一番うまく行くことが分かりました。娘たちをあてにして、そのあてが外れて不満を抱くよりも、自分で家事全体を切り盛りして、娘たちにはできる範囲で協力してもらうようにすることで、私のストレスは格段に軽減されました。

 

私は、その結論に我ながら満足していましたが、実はそれは妻が今まで行なっていたことではなかったのかとはたと気づきました。発病前の妻の目から見た私は頼りにならない夫だったのだと思います。

 

私としては、できる範囲で家事を分担しているつもりでしたが、妻からすれば、残業や休日出勤で家族との約束を守ることすら覚束ない相手に家事の“当番”を期待などしていなかったはずです。

 

妻が病に倒れなければ、私は今でも妻の苦労など知ろうともせずに仕事を言い訳にして、家の中のことを妻に任せきりにしていたことでしょう。

 

家事の価値

以前は、ニュースでよく話題になっていた“家事の賃金換算”に私は違和感を覚えたものでした。ところが、家事代行サービスの料金を調べたり、生活の一部としての家事に自分が相応の時間を費やすようになると、家事を賃金換算するのは決して変なことではない、と考えを改めました。

 

家事をお金に換算して可視化しても、私が今行なっている家事に何か変化が生じるわけではありません。むしろ、今まで長い間妻に任せきりにしてきた家事の重要性や価値を知ることによって、妻への感謝の気持ちを抱くようになり、これからは自分が任される立場になろうと思えるようになりました。