和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

生き方選び

止められない時間

内的な時間の長さは年齢に反比例するというのはよく知られている説で、私も実際にそのような感覚を抱いています。

 

時間が短くなる分、 - これも感覚に過ぎないのですが - やれることが限られてきます。おそらく、私の中では、限られた時間を無駄にしたくないとの気持ちから、物事に取り組む集中力が以前よりも高まった気がします。

 

今の私は、限られた時間をできるだけ自分や家族のために使いたいと考えます。会社で働くことがどれほど社会のお役に立っているかはともかく、それを社会的役割だとすると、もう一方の家族に対する責任や役割も同じくらい、あるいはそれ以上に大切にしたいと思うようになりました。

 

仕事に関して言えば、以前は、締め切りに間に合わせるようにスケジュール管理をしていたので、常に仕掛中の仕事が自分の手元にある状態が続いていました。

 

今は、例えば一週間後が締め切りの仕事も今日片づけられるのであればそうします。待機状態の仕事が手元にないことで気分的にも楽になり、急な仕事が降って湧いてきても慌てることがありません。

 

そのようなことは、歳を取ったからできるようになったわけではなく、単に私がこの歳になるまで気づけなかっただけなのですが、もっと早くに今のような仕事の取組み方に変えていれば、自分や家族のためにより多くの時間を確保できたのではないかと悔しい気持ちになります。時間は止められません。私にできることは使い方を考えることだけです。

 

生き方選び

自分の寿命を知る術などありませんが、間違いなく言えるのは、私の余命は削られているということです。もちろん、生まれたばかりの赤ん坊も日に日に余命は削られているのですが、人生の半ばを過ぎた人間にとっては、自分の時間はより大切でより愛おしいものに感じられるようになるのだと思います。

 

考える人はすでに若いうちから真剣に人生と向き合っているのだと思いますが、愚かにも私は若い時には深く考えようともしませんでした。先が短いと気づいてから慌てて人生の意味や価値観に沿った生き方を考え始めました。

 

私は、六十代や七十代の目標といった将来的なことよりも、もっと現実的で現在的なことに目を向けるようになりました。先を見越した生き方よりも、自分の足元を確認し一歩一歩踏みしめるような生き方 - それが今の私が選んだ道です。