和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

老兵は死なず

老兵は死なず

最近、私は自分の仕事に対して何となく“気が済んだ”ような感覚に囚われることが多くなりました。

 

それは、仕事に対する情熱を失ったのとは違いますが、自分の気力や諸々のことを考える頭の中の余白をもっと別の自分の興味のあることに振り向けたいという欲求が芽生えているような気がします。

 

決して仕事の手を抜くことはしませんが、以前のように誰かのために一肌脱いだり、格好をつけて火中の栗拾いや猫の鈴付けをするような真似はしなくなりました。「老兵は死なず」なのです。

 

私の上司は、第一線を退いた私に依然としてよその部署との調整を頼もうとします。人から頼られるのは悪い気はしませんが、利用されるのはもう止めにしたいと思います。

 

一日の価値

自分が何歳まで生きられるかは分かりませんが、死に向かって進んでいることは間違いありません。自分にとっての一日の価値は若い時のそれと比べると格段に高くなっています。

 

会社で働いて、老後資金の積み増しのために費やす時間よりも、自分のやるべきこと、やりたいことに時間を使いたいと思うようになりました。

 

もはや私には、自分以外のことを気にする余裕がなくなりつつあるのかもしれません。

 

今までも、別の意味で自分以外のことを気にする余裕はありませんでした。“別の意味”とは、世間体や評判、あるいは承認欲求を満たそうとするために回りが見えなくなっていた状態を指します。

 

今考えると、当時の私は自分以外のことを気にする余裕がなかったのではなく、他者に振り回されて、単に自分を見失っていただけだったのでした。

 

自分が満たされるのは、誰かに褒められたり、役職が上がったりすることで得られるものではなく、自分が“そうありたい”と思える自分を維持していると実感することだと思います。

 

私はとても遠回りをして、ようやくそのことに気が付きました。