和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

惰性の法則(1)

燻ぶっている人間

周囲の人々を見下す人間はどこにでもいるのですが、その手の人間は殊のほか自分の評価を気にします。他人は他人、自分は自分、と考えることが出来れば、どれほど気が楽になることだろう – そう思いながら、私は、その二年か三年先輩のSさんを諫めることも無く、距離を置いていました。

 

Sさんとは一緒の部署になったことはありませんでしたが、何度か仕事でのつながりがありました。彼は目下の社員に仕事を押し付け、自分は手を動かすことをしないタイプでした。そして、時折、用も無いのに私の部署に来ては、如何に自分が出来る人間かを喧伝するのでした。

 

一度、私が〆切の近い仕事をしていた時に、Sさんがいつものようにふらっと現れました。そして、いつものように、自分はこんなところで燻ぶっている人間ではないと言った時、たまたま私の虫の居所が悪かったのでしょう。私はSさんに、「十分燻ぶっているように見えますが」と言い返しました。

 

当時の私の上司がSさんと私の間に入って、大事にはなりませんでしたが、その後上司から、人の戯言に反応するのは未熟な証拠だと窘められました。

 

Sさんのエキセントリックな自己顕示欲は、若い頃はまだ許されていたのだと思いますが、歳を重ね管理職になってからの彼は、部下を自分の出世の道具としか見ませんでした。

 

口では、「こんな会社」と言いながらも、自分の上役へのアピールには熱心な一方で、下の人間を思いやる気持ちは微塵も無かったのでしょう。

 

当時の会社では、年功序列は厳格に守られていたので、今の基準で人格的に問題有りだとしても、管理職になり部下もつきました。それが、Sさんの下で働いていた部下にとっては不運な巡り合わせとなってしまいました。彼のグループでは、体調を崩して異動しなかった部下を数えた方が早かったのですが、退職者が出なかったことがSさんを増長させる原因だったことは間違いありません。

 

肥大化する承認欲求

会社がハラスメント研修を導入した頃を境に、Sさんは部下を持たない管理職になりました。

 

部下をこき使う、上司にこき使われる – 多くの社員が、そのような関係性は会社で仕事をする上では必要悪なのだと刷り込まれていたのが、ハラスメント研修や、それに伴う会社の取り組みによって、社員の考え方が大きく変わりました。

 

部下を持たせてはいけない管理職は、降格にはなりませんでしたが、調査役などの単独での業務を任されるポジションに異動となりました。

 

Sさんがそれまで部下の社員に行なってきたことは紛れもなくパワハラでした。それは風評では無く事実なのだから誰も庇いようがありませんでしたが、本人にとってはショックが大きかったようでした。

 

恐らく、Sさんにとって異動以上にショックだったのは、自分の人望の無さだったのかもしれません。誰にも誘われず、誘っても誰もついて来ない – Sさんがそんな孤独感を味わったことはこれまで無かったことだと思います。

 

Sさんは、定年を待たずに、私が海外駐在中に退職しました。最後の方は、ほとんど顔を合わせることも言葉を交わすことも無くなったので、Sさんが何を思い会社を去って行ったのか分かりません。

 

私はSさんを、自己顕示欲と出世欲の塊のようだと思ったことがありましたが、そもそもそのような欲がどこから湧いてきたのか考えたこともありませんでした。周囲に不快な思いをさせても – あるいはそれに気がつかないほどに - 自分を認めてもらいたいと欲する気持ちを止められなかったのは、それがSさんの原動力だったからなのかもしれません。

 

そんなことをつらつらと考えているうちに、私は、Sさんから退職の挨拶メールへの返信をしそびれてしまいました。

 

それから十年近く経ちましたが、Sさんが今どのような暮らしをしているか、私は知りません。肥大化した承認欲求は、会社と言う組織の中だからこそ追求出来る可能性があったのだと思いますが、リタイアした後も引き続きそのような欲求に弄ばれているのだとしたら、それを受け止めるご家族にとっては大変なことだろうと、私は勝手に想像しています。(続く)