和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

仲間の退職

厄介払い

今月もまた私が懇意にしていた仲間が退職します。自己都合退職など今更珍しくもありませんが、社内で「仲間」と呼べる数少ない同僚の退職となると、私にとって重みが違います。

 

彼がキャリア採用で入社したのはもう二十年近く前のこと。三十代半ばの彼に初めて会ったのは私の駐在先でした。 フットワークの軽さと頭の回転の速さ。有能な社員を絵に描いたような彼は、入社早々、同じ部署の周囲の人間との“温度差”に違和感を覚えていました。

 

それでも彼は、若手や中堅社員を巻き込んで勉強会を開いたり、新たなビジネスモデルを上層部に提案したりと、積極的に周囲に働きかけを行ないました。

 

しかし、駐在中の私の耳に伝わってくる彼の評判は好意的なものよりも否定的なものの方が多かったのです。変革を求めない層からすれば、彼の働きかけは組織を混乱させるだけにしか映らなかったのだと思います。

 

過労で倒れた彼が、その後閑職に異動させられたのは、会社としては社員の健康に配慮した結果なのでしょうが、彼が所属していた部署からすればタイミングの良い厄介払いでした。彼が手掛けていた仕事は誰も引き継がずに白紙に戻りました。残念ながら、彼が蒔いた種に水を遣る人間は現れませんでした。

 

退職の決断

昨春、彼は、息子さんが就職して親としての務めを果たせたと嬉しそうに話しました。今思えばそれは“伏線”だったのでしょう。

 

閑職に異動後、彼は以前の彼ではなくなりました。たまに会って話す話題は家族の近況が多くなり、仕事の夢は彼の口から聞かれることはありませんでした。仕事を「収入を得るための手段」と割り切ることで、彼は心の均衡を保っていたのかもしれませんが、もうその必要はなくなりました。

 

彼は「自由選択定年制度」を利用できる年齢でした。自己都合退職と違い、退職金の減額はなく、むしろ特別報奨金が上乗せされますが、退職するまで三か月の待機期間を置かなければなりません。

 

彼が好条件を蹴ってでも最短距離の退職を選んだのは、不本意のままに自分の時間を切り売りするのがこれ以上耐えられなかったのでしょう。彼がはっきりそう言ったわけではありません。私がそのように理解したのです。

 

定年まであと数年。どうにかあと数年堪えることができなかったのか。同年代の人間が会社を去って行く姿を見ると、本人の新天地での活躍を願う気持ちと自分が取り残された気分が綯い交ぜになって落ち着かなくなります。