和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

老いとの闘いと和解

老いとの闘い

私が白髪染めを使うようになったのは、三十代後半の頃でした。それから数年の間白髪染めのお世話になりましたが、しばらく毛染めを怠っていたある日、生え際の白髪の量が増えていることに気づいて、我ながら驚いてしまいました。おそらく、会社の同僚はそのことを知っていても気が付かないふりをしてくれていたのだろうと思います。

 

白髪に限らず、三十代から四十代にかけては、“老いとの闘い”と言うと大袈裟かもしれませんが、私は随分と無駄な抵抗を繰り返していたような気がします。小じわに老眼、中性脂肪に尿酸値と次から次に押し寄せる老化現象の兆候に悪戦苦闘していました。

 

もっとも、中性脂肪や尿酸値は食生活が原因で、老化現象ではないのですが、若い頃には健康診断で引っかからなかった検査項目が基準値を超えるのは歳を取ったせいだと思っていました。

 

老いとの和解

娘が年頃になってからというもの、私が普段着を買いに出かける時は服選びに付き添うようになりました。私が娘に頼んだわけではなく、私にセンスがないから買い物に付き合うのだと娘は言います。

 

私は決して派手好きではありません。それでも娘が選ぶ服の色を「大人し過ぎるのでは?」と難色を示そうものなら、娘は「おじさんにはこれがお似合い」と勝手にレジに持って行ってしまいます。

 

ところが、最近は娘のセンスに私が追いついた(?)からなのでしょうか、自分の年齢相応の落ち着いた系統の色やデザインの服は、着ていて“落ち着く”ことに気づきました。

 

いつまでも若々しくありたいと思う気持ちは大切なのかもしれませんが、私の場合は、今の自分をありのままに受け入れる方が、気が楽だと思えるようになりました。

 

加齢を老化と捉えるのではなく、“経年変化”と思えるようになれば、それを楽しむ心の余裕が生まれます。体力や気力は若い頃の自分には勝てないかもしれません。お酒の量も食事量もピークを過ぎて久しくなりましたが、暴飲暴食をしなくなった – できなくなった – ことで、翌朝に二日酔いや胸やけに悩まされることもなくなりました。

 

私は、若い頃の自分と張り合うこともはやできません。しかし、経験や知識、人間的な“丸み”がそれなりに備わり、嗜む程度にしかお酒を飲めなくなった今の自分も嫌いではありません。