和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

寄る年波を楽しむ余裕

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化粧とスッピン

去る3月下旬に、妻は左乳房の切除手術を受けたのですが、手術では取り除けない部位が残ったため、そのような部位に対して放射線治療を行ないました。

 

放射線治療は、先月初旬から先週一杯まで、平日に行なわれました。来月頭からは再び抗がん剤の投与を受けることとなり、これが来春まで続きます。

 

主治医の先生の説明では、今回使う抗がん剤は、副作用が強くなく、吐き気や倦怠感、脱毛等の典型的な症状の心配はほとんど無いとのことでした。手術前に投与されていた抗がん剤では、一緒に処方された吐き気止めの薬もあまり効果が無く、妻は苦しい思いをしていました。そのため、今回の先生の話を聞いて一番ほっとしているのは彼女に違いありません。

 

もう一つの嬉しいニュースは、妻の頭髪が再び生え始めてきたことです。まだ高校球児くらいの短さですが、これならあと数か月すれば、ウィッグやニット帽も要らなくなりそうです。

 

また、以前の抗がん剤投与の際には、脱毛だけでなく、肌のくすみや乾燥、発疹など、様々な症状が出たのですが、一度抗がん剤が体から“抜ける”と、発毛だけで無く、肌の状態も改善され、本人曰く、元々あったシミも薄くなった気がするとのことでした。確かに、私の目から見ても肌の色つやが良くなったのが分かります。

 

妻は、毎日洗面所の鏡の前で、髪の伸び具合をチェックしています。いくつになっても髪の毛は女性にとって大切なものなのでしょう。「白髪も生えてきている」と妻は言いますが、毛髪の成長が再開しても、若返るわけでは無いのですから、そればかりは仕方ありません。

 

妻も以前は、アンチエイジング的なことに関心はあったようですが、治療開始以来、そのようなことに気持ちを傾ける余裕は無くなりました。顔や肌に塗って良いものは、処方された保湿クリームだけだったので、家の中ではもちろん、外出時もノーメイクで過ごすようになりました。

 

私も娘たちも、一年近く妻のスッピン顔を間近で見てきているので、今は何とも感じませんが、昨年の秋頃の私は、お化粧をしないと妻も歳相応の顔なのだと、内心失礼なことを思ったものです。

 

もちろん、私とて、妻のことをどうこう言える立場にありません。白髪は年々増え、目尻のしわやほうれい線は引っ張っても擦っても無くなりません。

 

毎日見ている自分の顔でさえ、加齢の実感を覚えさせるには十分なのですが、やはり、一番ショックを受けるのは、昔の写真やビデオと今の自分を比較した時です。

 

やり残しの無い人生

在宅勤務開始以来、空いている時間を使いながら、昔の写真やビデオの整理を少しずつ進めています。しかし、古い写真やビデオを見始めると、しみじみと思い出に浸るのに時間を取られ、思い通りに整理が進まないのが現状です。

 

写真やビデオが残酷なのは、戻れない記憶をそのまま残してしまうことです。そして、その時々の写真の枚数やビデオの本数は、その期間の家族の充実度が反映されるものになっています。誰も辛い時期に苦しんでいる自分たちの姿を記録に残そうとはしません。残っている写真やビデオには、自ずと家族が輝いている姿が収められているのです。

 

今、写真やビデオの整理を進める中で気持ちの整理も出来つつあるので、このような記事を書けるのですが、昨年の今頃は、昔を懐かしく思うのと同時に、自分たちが置かれている現状を恨めしく思っていました。

 

終の棲家を構え、娘たちもようやく手がかからなくなり、これから妻と私の時間がたくさん作れると期待していた矢先の妻の発病でした。

 

日頃、誰かと比較することで自分の幸不幸を決めてはいけないと、自分に言い聞かせてきた私が、今の自分を昔と比べて嘆いていたのです。そのようなことをしても何も始まらないのは分かっていたのですが、若い頃に戻って、もう一度、妻や娘たちとトレッキングやキャンプや旅行をしたいと思い、何故、もっと家族の時間を優先して来なかったのかと後悔する気持ちも湧いてきました。

 

過去に自分を埋没させる行為は、何ももたらさないのは分かっているものの、何も得るものが無い場所への寄り道は、自分にとっては、前に目を向けるための通過儀礼的なものだったのだと思っています。

 

少し前まで、私は妻の病気を、私たち夫婦に訪れた試練と捉えていましたが、今はそうでは無いと考えています。病気に罹る罹らないに関わらず、私たちの死は時間の問題なのですから、生きている間に自分の願いを一つでも多く叶えることを目標にすれば良いのだと思えるようになりました。

 

そして、もう一つ芽生えた感情は、寄る年波に抗わない – と言うよりも加齢を楽しむ気持ちです。これまでは、私自身、実年齢よりも若く見られたい、若くありたいと、外見を気にしているところがありましたが、妻の闘病に合わせて、白髪染めするのを止めました。

 

もちろん、健康維持のために必要な運動やバランスの取れた食生活は維持しますが、自分を若く見せるための工夫は卒業して、歳相応の自然体で生きることにしました。

 

これから先、妻も私も体力的には下り坂を歩んで行くことになりますが、だからこそ、今できることは、坂道を下りながら、今の内にやっておこうと言う意識が持てるようになりました。

 

20代30代の頃のように活動的に暮らしたい思いは捨てがたいのですが、50代、そして、これから先の時間では、若い頃とは別の、歳を重ねることを楽しむ人生が待っていると期待しています。“やり残した感”を味わわないように生きて行きたいと思います。