和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

ピアスの穴

下の娘がピアスの穴開けをしたのは先月の半ばのことでした。妻は「体に傷をつけるのは嫌だ」と反対し続けていましたが、鼻や臍に穴を開けるわけでもなく、親が目くじらを立てる話でもないでしょう。“たかがピアス”で、娘と、それに巻き込まれた私は妻を説得し、ようやくピアス穴の開通にたどり着きました。

 

先日、妻の通院に付き添った際、いつものように主治医の先生との問診で、妻は先生にピアスの穴開けをしたいと言い出しました。私は驚きましたが妻は至って真剣な様子。先生は感染症の危険があることを説明した上で、「あと少し我慢しましょう」と優しく妻を説き伏せてくれました。

 

ピアスをしたいと言った妻は決して唐突そう思ったわけではなく、娘のピアスに反対しているうちにいつしか自分もピアスをしてみたい心境になったのだと私に打ち明けました。なんとも子供じみた話でしたが、闘病のためにいろいろな制限のある生活の中で、ちょっとした潤いを求めたいと思うのは理解できます。

 

妻の話に耳を傾けていた私は、ふと昔のことを思い出しました。結婚前、二人で居酒屋のカウンター席で食事をした時に妻はつけていたイヤリングを落としてしまいました。お店の人にも協力してもらって探したものの、イヤリングは見つかりませんでした。

 

デートの帰り道、妻は自分の耳たぶが小さいのでイヤリングはすぐに落ちてしまうこと、ピアスの穴開けをしようと思っていることを話しました。その時に私は、「わざわざ体に傷をつけるようなことはしなくてもいいのでは」というようなことを言った気がします。

 

あまり深く考えずに口に出した言葉を私はずっと忘れていましたが、もしかしたら妻はそのことを覚えていて、今までピアスの穴開けをせずにいたのかもしれません。そう考えて、私はその話を妻に振るのを止めました。矛先が自分に向けられるのを察知したからです。

 

病院から帰宅すると、妻はあらかじめ敷いておいた布団に横になり目を閉じました。私はその耳たぶに触れようとして触れられないまま、あのデートの夜の何気ない一言を妻に謝るべきか考え続けていました。