和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

白秋の坂道

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

老いてゆく自分

青春の反対語は白秋と言うそうです。青春は長い坂を登るようだと歌にありましたが、白秋は長い坂をゆっくり下って行くことに例えられるのでしょう。

 

50代を過ぎた頃からでしょうか、自分の記憶力の衰えを覚え始めるようになりました。仕事で名刺交換をしている相手にも拘らず、次にお会いした時に名前が思い出せない。ついこの間聞いたばかりの会社名や用語が思い出せない。ともに喉まで出かかっているもどかしさを感じていました。

 

元々ショートスリーパーの私でしたが、一時期大きな仕事が重なったこともあり、睡眠時間を削って何とかやりくりしていました。そのため、寝不足や疲れから記憶力が低下しているのだと、そう私は考えていたのです。

 

やがて仕事の方は落ち着きましたが、私の頭の働きは今一つでした。仕事の打ち合わせや公の会議の場でも、頭に浮かんだことが適切な文章となって口から出て行きません。言い澱みが増え、活舌も悪くなった気がしました。また、他の人の話している内容を即座に理解して切り返すことが不得手になってきました。

 

自分の変化を感じた私は、部下にさりげなく尋ねましたが、彼は私の気のせいだと言いました。しかし、自らの思考回路の微妙な不具合を感じていることは、紛れも無い事実であり、これが単なる老化現象によるものなのか、何か器質的な障害の発現なのかはともかく、それは私の頭の片隅に小さな不安となって居座り続けるのでした。

 

私がまだ若い頃、父や母が、テレビに映る芸能人を見て、名前が出てこないことを嘆いたり、物の名前が思い出せずに指示語が多くなったりしたことを馬鹿にしていましたが、自分が親の年代になり、同じ状況になった今、歳を取るとはこういうことなのかと思い知らされた気がします。

 

物忘れは歳を重ねるにつれて悪くなってきている気がしました。その日その日にやり過ごしてしまうようなことでも、振り返ってみると、一年前、二年前に比べて自分がゆっくりと衰えていることを実感します。

 

妻や娘たちは、「歳を取ったらボケるのは仕方ない」と、真剣に取り合うつもりは無いようですが、当の本人としては軽く受け流す話ではありません。衰えと言う事実を受け止めたくない気持ちと、手遅れにならないうちに何とかしなければと言う思いが綯い交ぜになっていました。

 

感情の名残

加齢による健忘症なのか、認知症の初期症状なのか。私がそこまで自分の記憶力に不安を感じているのは、数年前に他界した母方の伯母のことが頭にあったからです。

 

当時私たち家族は海外に駐在していて、日本には年に1回帰ってくると言う生活を送っていました。家族は3週間程度日本に滞在していましたが、私は仕事の都合もあり、1週間ほどの滞在期間に妻と私の実家に顔見せして、駐在地に戻っていました。

 

帰国の度に私は、独り暮らしの伯母の家を訪れました。独り暮らしとは言え、同じ敷地内に娘夫婦が住んでいるので、日々の目配りは出来ているはずでした。ところが、ある時、久しぶりに顔を合わせた伯母の様子が普通ではありませんでした。

 

それまでは、家の中は整理整頓が行き届き、身なりもきちんとしていた伯母でしたが、髪は寝ぐせがついたまま、部屋は物が散乱していました。隣家に住んでいる従姉に話を聞くと、数か月前あたりから少し様子が変だと言います。それまで身の回りのことは自分で出来ていた伯母でしたが、自炊の際にボヤ騒ぎを起こしてからは、従姉が食事の世話や家の掃除をしていました。しかし、掃除をしても、1日もすると部屋の中が散らかし放題になってしまうのでした。

 

私は腰の重い従姉を説得して、すぐ伯母を病院に連れて行くように言いました。診察の結果、伯母は認知症であることが分かったのですが、病状はかなり進行していました。

 

その後、私は時折従姉から伯母の様子を知らされるとともに、帰国する度に伯母の様子を見に行きましたが、年を追うごとに病状は悪化していました。“まだらぼけ”の正気である時間が徐々に減っていき、話をしても内容に一貫性が無く会話が成立しなくなってしまいました。そして、病状が進むにつれて伯母の顔から表情が失われていきました。そこに伯母は確かにいるのですが、こちらからの問いかけに意味のある言葉が返って来ません。目の奥にかすかな感情の名残を見つけ出すことも出来ません。伯母は最期を養護施設で迎えることになりましたが、私は死に目に立ち会うことは出来ませんでした。

 

白秋の坂道

私は、自分の物忘れが気になり始めた頃から、伯母のことを思い出すようになりました。伯母の認知症が家族性のものか否かまでは調べてはいないのですが、血のつながりがある以上、それを完全に否定することは出来ません。

 

先日、母親と電話で話をしていて、伯母の七回忌が話題となったことから思い出した話でした。伯母のことがあってから、母には心療内科で毎年診断を受けるように言ってきました。リウマチで杖が無いと歩けなくなってしまった母ですが、幸か不幸か、まだ口は達者で身の回りのことも問題無くやっているようです。

 

私も一昨年、冒頭に書いたような不安を感じ始めた頃に、専門医に相談したことがあります。結果はセーフでしたが、年齢的には体も頭も下り坂に差し掛かっています。白秋の坂道の下り方を考える時期に来ているのだと思います。