和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

就職活動考 漂流するモチベーション

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目的無き将来

下の娘はこの春から大学3年生になります。私は娘から、どこの会社のインターンシップに参加すべきか相談されましたが、現役の就活生ではない私がそんな相談に乗れるはずなどありません。娘はやりたいことが見つからないと言い、やりたいことを見つけられない自分を恥じている様子でした。

 

娘の話を聞いて、血は争えないと思いました。私も就職先を探す段になってもやりたいことがすぐには見つからなかったからです。

 

私が就職活動をしていたのは、バブル崩壊の直前。売り手市場の就職戦線では、選り好みしなければ就職口に困ることはありませんでした。

 

今のようにインターンシップを導入している企業はほとんど無く、エントリーシートなどと言うものも無い時代です。3年生の冬休みあたりから、学生向けにエージェント会社から新卒採用を行なう会社要覧が届きます。各会社の企業概要と資料請求用のハガキが一緒になったもので、電話帳くらいの厚さになっていたと記憶しています(若い人たちは電話帳を知らないかもしれませんね)。その他、会社からダイレクトメールで資料が一方的に送られてきたりもしました。

 

そんな感じで、私の狭いアパートの部屋は、あっと言う間に足の踏み場もないくらいに資料で埋まってしまいました。

 

就職活動のお膳立てが勝手に進んで行く中で、私の気がかりは、来学期の授業料のことでした。新学期のための学費がまだ足りていません。また、就職活動を本格的に行なうとなると、アルバイトの時間を削る必要があるため、あらかじめ生活費を蓄えておく必要もあります。

 

それまでの3年間、浪人時代を含めると4年間、アルバイトが主で勉強が従のような生活を送っていました。当時の私としては、働くことは生活するための必要な活動であり、そこで自己実現を求めるとか、社会貢献がしたいとか、社会人としての理想像を思い描けるような心のゆとりなどありませんでした。

 

将来の目標が定まらないまま迎えた4月。友人達はすでにOB訪問や会社訪問を開始していましたが、私は企業概要に目を通すだけで何も先に進まない状態が続いていました。部屋のクローゼットには買ったばかりで一度も袖を通していないリクルートスーツが掛かったままでした。

 

しかし、今思い返すと、当時の私は忙しいことを口実に、自分の将来について考えることから逃げていたのでした。いずれ学校を出て働くことが分かっているのですから、何を生業にして生きて行くのか考えるのは当たり前のことなのです。

 

その当たり前のことを先送りにしたまま、私の就職活動は始まりました。悩んでいても仕方ありません。まずは、企業概要を見て、目に留まった会社に片っ端から資料請求のハガキを送りました。そして、会社訪問やOB訪問のアポを入れるようにしました。4月はまだ大学の講義が始まる前だったので、日中の大半は会社訪問で予定が埋まってしまいました。アルバイトに割く時間は半分以下になりましたが、週末に臨時雇いのアルバイトを入れるなどして生活費は維持できるようにしました。

 

挑戦よりも安定

当時、いわゆる「解禁日」など名ばかりで、多くの企業はそのはるか前から“内々定”を出していました。ゴールデンウィークが明け、大学の私の同期の間では、顔を合わせれば、何社から内定をもらったかで話が盛り上がっていました。私もすでにその時点で数社から“内々定”をもらっていました。ただ、私の中には未だ“本命”の企業は無く、当ての無い就職活動を続けている状態でした。そんな中で、いくつかの会社から内々定をもらったことは、自分が認めてもらえたと言う励みにはなりましたが、自分の中でしっくりと来るものがあったわけではありませんでした。

 

6月ともなれば、私の周りはすでに就職活動を終えた者がほとんどでしたが、私は内々定をもらった数社に曖昧な返事をしたまま7月半ばまで就職活動を続けました。その頃までに私の頭の中で固まってきた自分の仕事のイメージは、“浮き沈みの少ない業種で長く勤められるもの”と言うものでした。とても若い人間の発想とは思えません。

 

バブル景気が弾けたのは翌年、1991年なので、私が就職活動をしていた頃は、どこの会社に訪問しても、何となく“勢い”を感じていました。しかし、私は自分の父の事業の盛衰を間近で見てきているためか、何かに挑む気持ちよりも、安定を追い求めていました。

 

歩きながら考える

結局、私は内々定をもらっていた会社を辞退して、今の勤め先からの内定を受けました。友人の多くは、大量採用を行なっていた金融機関や大手小売り業に就職しました。

 

私は、目的が定まらないまま流されるように就職活動に入り、あっさりと就職先を決めてしまいました。その後、実際に就職するまで、私は「これでいいのか」と煩悶しつつも、自分で動き出すこともせずにいました。

 

私は今でもたまに、この仕事が自分に向いていたのかと疑問に思うことがあります。50歳を過ぎて、今さら「この仕事は自分に向いていないのでは?」などと考えること自体愚かなことですが、悩みながらも、会社生活を送る中で見つけた目標ややり残したことがあったからこそ、転職を決断するところまでには至らなかったのだと思います。

 

そう考えると、就職活動中にしっくり来なくても、やりたいことが頭に思い描けなくても、いざ就職してから仕事に対しての自分の関心を高めたり、目標を定めたりすることは可能です。就職した会社で自分のやりたいことが見つけられなければ、転職や起業の道もあります。立ち止まっても良いアイデアが浮かばなければ、歩きながら考えれば良いのです。