和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

白髪と老眼

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白髪と若作り

年波は誰にでも平等にやって来るものです。気力や体力の衰えを認めるのは嫌なものですが、いつまでも抗い続けることは出来ません。

 

避けて通れないことを嘆くくらいなら、加齢を楽しむ心のゆとりを持っていた方が気が楽だと言うことは以前記事に書きました。

lambamirstan.hatenablog.com

 

私が年齢の衰えを感じ始めたのは、40歳に差し掛かった頃です。それよりもかなり前に、高尿酸血症と診断され、食事の内容や飲酒量を見直しはしましたが、それは体質の問題で加齢とは無関係と考えていました。

 

ところが、二度目の海外駐在の前辺りから白髪が増え、何となく体力的な衰えも感じ始めました。駐在地では比較的自由な時間が多く持てたので、私は平日はスポーツジムに通い、週末はゴルフやトレッキングで汗を流し、日本にいる時と比較して体形も引き締まり、若返りの効果に満足していました。白髪が気になりだした頃は一本一本抜いていましたが、それが無意味なことに気づいてからは一時期白髪染めを使っていたことがありました。

 

いつだったか、妻が私に白髪染めを止めるように言いました。妻の方も白髪が目立ち始めていたのですが、彼女は髪を染め始めれば止め時を考えるのが面倒だと、自然に任せると言っていました。彼女からすると、白髪交じりの自分の横に黒々とした髪の私がいるのに抵抗を感じていたようです。

 

私としては、白髪染めにそこまで拘りがあったわけでは無かったので、それを機に髪を染めるのを止めました。それまでは、生え際の白髪が気になり始めると髪を染めることを繰り返していたのであまり気にならなかったのですが、いざ白髪染めを止めて数か月経った自分の姿をまじまじと見てみると、あまりの白髪の多さに驚きと落胆を感じました。

 

おそらく、白髪染めを使っていたのは一年足らずの間だったはずでしたが、隠して頂けで白髪の数は増え続けていたのでした。自分が急に老け込んだような気になりましたが、それが現実の私の姿だと認めざるを得ませんでした。若作りはいつまでも続けられるものではありません。

 

私の中に、周りから若く見られたいとの気持ちがどこかにあったのでしょうが、それと体が健康であることは違うもの。中身の健康維持は諦めていない私ですが、外見は – もちろん清潔感は大切ですが - 気にしないことに決めました。

 

それまでは、普段来ている服装の色調も若い頃と同じようなものだったのを、娘たちからの苦情もあり、“大人しめの”ものを選ぶようになりました。

 

歳相応と言うのが、今もって私には分からないので、服を買いに出かける時は娘について行ってもらうことにしています。父親の年代としてどんな服装をしているのが良いのか、娘たちの目を頼りにしています。

 

読書用の眼鏡

目と言えば、私は若い頃から乱視に悩まされていました。40代に差し掛かり、それまで長く愛用して来た眼鏡が合わなくなってきたので、一時帰国の時に検眼して眼鏡を新調しました。その際に眼鏡店で勧められて普段使用のものの他に読書用にもう一点眼鏡を買うことにしました。その時は、乱視が進むと眼鏡を使い分けなければならないのだと言う風に理解していました。

 

眼鏡を新しくしてからは、長時間の読書でも目が疲れにくくなり肩こりも改善されたようでした。逆に眼鏡が無いと本や新聞を読むのが億劫になり、いつの間にか眼鏡無しでは過ごせないようになりました。

 

それから数年が経ち、帰国後に運転免許の更新の際に検眼で引っかかってしまったため、眼鏡を作り直すことにしました。とりあえず普段使っている方のレンズを交換してもらうだけで良かったのですが、ついでなので読書用の眼鏡も見てもらおうと、家の近所の眼鏡店を訪れました。

 

検眼が終わり、待合スペースでレンズ交換が仕上がるのを待っていると、担当してくれた店員さんが申し訳なさそうに言いました。「生憎老眼用の方が在庫を切らしておりまして・・・」。その時私は初めて“読書用”の眼鏡が老眼鏡だと知りました。

 

以前、眼鏡を作った店で、“読書用の眼鏡”と言ったのは、お客としての私に気を遣ってのことだったのでしょう。確かに、40代になったばかりで老眼の“宣告”を受けたとしたら、結構ショックだったと思います。しかし、それは、40代後半の私にしてもショックだったのには変わりません。

 

帰宅してから、その顛末を妻に話したら、「あなたはとっくに老眼でしょ」と近眼でも乱視でも老眼でも無い妻は、勝ち誇った顔でそう言いました。私が細かい字を読むのに苦労している様子を見て、乱視だけでは無いと思っていたようです。

 

健康寿命を延ばす努力はそれなりにしている私でも、視力の衰えは食い止めることは出来ません。老境に入ったことを素直に認めるしかないのだと思います。