和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

愛おしさのチリツモ

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ルーティンワーク

私の勤め先はフレックスタイムを採用しているので、一日の仕事の始まりと終わりは自分で決めることが出来ます。私の場合、今は完全在宅勤務で、始業は朝8時。途中1時間の昼休憩を挟んで午後4時半の終業後は自分や家族のための時間として自由に使うことが出来ます。通勤時間 - 往復2時間半 - がかからない分、一日の時間を有効に使える有難さを実感しています。

 

起床後の私のルーティンは洗濯から始まります。洗濯機が回っている間にコーヒーを啜りながら新聞に目を通したり、ネットフリー(インターネットに接続しないと決めた日)では無い日は巡回サイトを見たりしながら朝食を摂り、洗濯物を干した後に風呂掃除。その後、前夜に食洗器に入れておいた食器類を片づけます。そうこうしているうちに家族が起きてきます。

 

家族が朝食を摂り終わった頃を見計らって掃除機掛け。それが終わって2杯目のコーヒーを飲み終わると、始業時間となります。

 

朝のルーティンワークは、これまで私が週末だけ行っていたことを平日もやるようになっただけなのですが、大きな変化は下の娘のアレルギーが治まったことです。

 

以前、共働きだった頃は、掃除機掛けは週末しか行ないませんでした。日中誰もいない家でも、一週間もすれば、部屋の四隅に埃の塊が目に付くくらいになります。それは、社宅から引っ越しした後も変わりませんでした。

 

住環境が変わっても娘のアレルギーは治まらず、妻や私は空気清浄機を買ってみたり娘に鼻うがいをさせてみたりと、いろいろ試してみましたが、一向に症状は改善されませんでした。

 

しかし、家の中を小まめに掃除するようになって以来、娘のくしゃみが止まったことを考えると、アレルギーの元凶はハウスダストだったのではないかと思います。

 

もちろん素人判断なので、それが正解かは分かりませんが、私の勝手な思い込みは毎日掃除機をかける原動力になっています。

 

朝、仕事に取り掛かる前に家の中をリセットするのは良いこと尽くしです。家の中をきれいに片づけておくのは清々しい気分にさせてくれることもさることながら、掃除を済ませて仕事に取り掛かる一連の流れがルーティン化されると、仕事のスイッチが勝手に入るようになります。

 

逆に終業時間になったら、ダラダラと仕事はせずに切り上げて“仕事スイッチ”をオフにします。その後、夕食の準備を始めるまでの小一時間は、妻とお茶をしたり一緒に洗濯物を畳んだりと、これもまたルーティンになっています。

 

これまでは通勤の電車の中や駅から家まで歩く時間で仕事とプライベートの切り替えを頭の中で行ってきましたが、今はそれに代わる切り替えが自然に出来るようになりました。

 

愛おしさのチリツモ

「チリツモ」と言うと節約や貯金を連想させますが、過ごした時間も然りだと私は思うようになりました。在宅勤務や介護休業を経験すること無く、今も普通の会社員として通勤して仕事をしていたなら、そんなことを考えることも無かったことでしょう。

 

コロナ禍や妻の病気、そして私自身の体調不良。一昨年から去年にかけて起こった一連の出来事で気分が沈んでしまったこともありましたが、家族との関わり方や生き方そのものを見直す好機が与えられたのだと思えば、私にとっては決して悪いことばかりではありませんでした。

 

四半世紀以上も一緒に暮らして来た妻でしたが、共働きの頃は日々の仕事に追われてゆっくりと話す時間はありませんでした。娘たちとも同じです。家族四人が共にする時間は夜に食卓を囲む時くらいで、それも、家族全員が揃うことの方が少なくなっていました。

 

家族が顔を合わせる時間が長くなったのはここ2年のことですが、私にとっては、ずいぶん前からこんな生活をしてきたような錯覚に陥ることがあります。もし、以前の、平日は家に誰もいない生活に戻そうとすれば、私は精神的にとても大きなストレスを感じてしまいそうです。

 

コロナ禍が沈静化すれば、在宅勤務はまた制限され、出社が基本の働き方に戻ることになるのでしょう。そう考えると、今の生活が掛け替えの無いものに感じられます。

 

とは言いながら、貴重な一日一日を大切に過ごそうと言ったような前のめりの意気込みは私にはありません。そのような気負いを感じてしまっては、どこかで息切れしてしまいそうです。

 

一日の流れは、何も無ければ“何も無かった一日”で終わります。家事と仕事の繰り返しで淡々と過ぎて行きます。日々の家族との会話も他愛無いものばかり。しかし、他愛無い家族とのやり取りは、後で振り返るときっと愛おしい時間のチリツモだったのだと気づく時が来るのだと考えるようになりました。

 

だからこそ、私は何も無い一日を過ごせるように毎日ルーティンをこなし続けます。泣いても笑っても、この家で家族と過ごしていく以上、生活の舞台は気持ちの良いものに整えておくに越したことはありません。

 

 

これが私の良いチリツモになると信じています。