和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

ストレスのお掃除

ストレス解消のルーティン

私の朝のルーティンは、洗濯と風呂掃除、そして掃除機掛けです。夫婦共働きだった頃は - その頃は在宅勤務もなかったので – 掃除は週末にまとめて済ませていました。その時は気がつきませんでしたが、ほぼ毎日家中を掃除するようになって分かったのは、埃や塵が意外に多いことでした。

 

家の中で人が動いていれば、埃が立つのは当然なのでしょうが、毎日掃除機を掛けるようになって、たった一日で溜まる埃や塵の多さに驚きました。潔癖症では無い私が毎日掃除するようになったのはそのためだと思います。

 

朝、仕事を始める前に家の中をきれいに掃除して片づけるのは、衛生的であるだけでなく、体を動かして爽快な気分になれるので、精神的にもプラスの効果が得られている気がします。後付けの考えですが、私の中では、掃除機に吸い込まれる埃や塵をストレスの要因に見立てることで、ガス抜きが出来ているのでしょう。

 

ストレスを溜め込んではいけないことは分かっていても、日々の仕事に流されていた頃は、降りかかって来る大小様々なストレスの要因に対して、悩んでも仕方のないことと割り切ったり、気にしないようにしたりと、どちらかと言えば目を逸らすような対応しかしてこなかった気がします。たまの休日に息抜きを図りますが、それは根本的な解決にはなりませんでした。

 

ところが、毎日のストレス解消の作業 – 私にとって、それは家の掃除ですが – を取り入れたことで、これまで頭の中に溜まっていた不安感や焦燥感は、溜め込まれないうち払拭できるようになりました。

 

もちろん、家の掃除をするだけでストレスの素が根本的に取り除かれることは無いのかもしれませんが、例え、それが一時凌ぎの代償行為にしか過ぎないとしても、ストレスのチリツモを感じられなくなっただけでも、私にとっては大きなメリットがあったと思います。

 

自然体の自分

翻って考えると、最近の私は会社の人間関係にもあまり頓着しなくなりました。それは、自分中心にしか物事を考えなかったり、相手の気持ちを蔑ろにしたりと言うことではありません。元来、私は上の人間の意向を忖度するようなことをしてこなかったのですが、それでも、これまでは自分の立場を最低限弁えた言動を心がけてきました。

 

しかしながら、自分がいくら節度を保って接したとしても、相手から反感を買うことがあります。立場が違い、利害が相反すればそれは止むを得ないことですが、いつまでも根に持ったり、どこかで意趣返しを考えたりする相手には辟易してしまいます。

 

そのような積み重ねが、少なからずこれまでの私のストレスの要因になっていました。つい最近までは、会社の中で生きるためには人間関係のしがらみから逃れることは出来ず、自分に対して反感や敵意を抱いている相手にも真摯に向き合う努力をしてきましたが、それが正しい方向に進むための努力とは思えなくなった結果、これまで社内の不文律に縛られていた自分を解放しました。

 

今の私は、相手の機嫌やその場の空気、自分がどのように見られるだろうなどと言ったことを気にしませんが、

決して、会社の人間関係に嫌気がさしたわけでも見限ったわけでもありません。ただ、他人は自分の期待どおりにはならず、自分も誰かの期待どおりにはならないことを遅まきながら理解できるようになりました。

 

社内の不文律 - 予定調和的に物事を進めるべきと言った暗黙の了解 – に拘るあまり、他人に振り回されてきた自分がして来たことは、何かを良くするための努力とは異なり、自分で自分の首を絞めるだけの苦労だったのかもしれません。

 

五十も半ばに差しかかってようやくそれに気づくのは愚かなことですが、苦労してストレスを溜め込んでも得することは何もありません。ガス抜きするためにまたひと苦労となります。結局は、自然体の自分でいることがストレスを溜め込まない秘訣なのです。