和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

夢から覚めた町

同じ轍

以前、母親が原野商法に引っかかった話を記事に書きました。

lambamirstan.hatenablog.com

 

休日、東北新幹線の最寄駅でレンタカーを借りて、その土地を初めて見に行きましたが、分譲地のはずの周辺も含めて全くと言っていいほど手入れがされておらず、伸び放題の雑草で覆われた土地は区画の判別もつかない有様でした。

 

後日、管轄の市役所に問い合わせをして、固定資産税の滞納が無いことを確認しました。電話で対応してくれた市役所の方の話では、問題の土地周辺の利用価値が無いため課税対象になっていないものの、今後開発が行なわれるなど状況が変われば、固定資産税が発生するかもしれないとのことでした。母曰く、これまで固定資産税を払った記憶が無いと言っていましたが、万が一滞納などしていたら厄介な話になるので安心しました。

 

他方、市役所での土地の買い取りや寄付は受け付けていないことも分かりました。利用価値が無く管理費用がかかるだけの土地ではやむを得ないことなのでしょう。

 

売却も出来ない、ただで引き取ってもらうことも出来ない。今のところ税金を払う必要は無さそうですが、少なくとも、母が期待していたような資産とはなり得ない土地であることは分かりました。

 

母はその土地を自分の目で確かめたわけでは無く、業者に言われるままに手を出したのですが、周辺の環境を見れば、居を構えるのに適した場所で無いことは誰が見ても分かります。

 

それにしても、両親は、父が存命中にも原野商法に引っかかって二束三文の土地をつかまされた経験があるのです。何故学ばずに同じ轍を踏むのだろうかと、自分の親ながら情けなくなってしまいます。

 

母に、現地を見て来て市役所にも問い合わせをしたことを話すと、大袈裟に有難がっていましたが、それがいつもの母の“ポーズ”であることは見え見えです。かかった交通費は“つけておいてくれ”と言いますが、自分一人が食べて行くだけでやっとの母にお金を返す当てなど無いことは本人が一番よく分かっているはずで、私がそんなことを期待などしていないことも母は分かっているのです。分かっていながら、「いつか返すから」とその場凌ぎの言葉を口にするのでした。

 

そして、土地が処分できない代物であることが分かっても、これからどうするのかは私がいずれ考えるだろうと密かに期待しているのでしょう。この件に限らず、自分のことなのにどこか他人事のような母の態度に何度もイライラさせられましたが、それを通り越した今の私は、この状況を妙に冷めた目で見ています。

 

夢から覚めた町

父が亡くなった時、私は相続を放棄しました。二人いる弟たちにもそうさせました。当時の父が保有していた財産は住み始めて六年の家とわずかな老後資金のみ。それを母と子どもで取り合ってしまっては、母親は家を出て行かざるを得ません。

 

弟たち本人と言うよりもその連れ合いから抵抗されましたが、結局は子どもたちが相続放棄することで、それから二十余年、母は住む場所に困ること無く暮らしてきました。

 

しかし、その家も築三十年経ち、家自体に資産価値は残っていません。前回母の様子を見に行った時に、地元の不動産会社に尋ねたところ、土地の相場は購入時の三分の一にも満たないもので、それでもすぐに買い手がつくかは分からないと言います。

 

こんなことなら、父が亡くなった時に家を処分して、母をもっと生活しやすい地域に転居させるべきでした。車の運転も出来ず、杖無しでは歩くのも覚束ない年寄りにとって、ここは住む場所ではありません。もっとも、当時そんなことは私も母も予見出来ませんでした。

 

両親が移り住んだ当時は、バブル崩壊後とは言っても、老後の終の棲家としてその地を買い求めた人々が多かったのだと思います。住宅地の住人のほとんどがリタイア後に移り住んで来たようで、それぞれに悠々自適な老後生活を楽しんできたのだと思います。

 

その周辺の家々も半数以上は表札が外されていて、昼間でもあまり人の気配を感じません。残酷なようですが、あと十年もしないうちにほとんどの家が空き家になることでしょう。その中には母の家も含まれているはずです。

 

かつて観光地や別荘地として活気のあった街には企業の保養所も多く、駅周辺は賑わっていました。個人の別荘と永住用の家屋が混在している住宅地も観光スポットになっていて、管理事務所から各住人には庭の手入れを怠らないように通達が出ていたそうです。

 

父が亡くなった後、母一人で庭の手入れをするのは無理があったので、三か月に一回は庭師さんのお世話になっていたこともありましたが、それも大分前に止めてしまいました。活気を失った住宅地に足を運ぶ観光客などいるはずは無く、管理事務所の通達を守る住人はいなくなりました。

 

母は、事あるごとに、ここに引っ越してきてから父が亡くなるまでの六年間、良い夢を見させてもらったと言います。恐らく、それは他の住人も同じなのだと感じました。健康で体が動くうちはともかく、歳を重ねれば重ねるほど、ここの住みづらさを思い知ります。少なく無い数の住人が、老後生活の夢から覚めて現実世界に戻って行ったのだと思います。住宅地に散在する空き家は夢の残骸なのです。