和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

反面教師

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父の定年

私の父親は都内の下町で小さな会社を営んでいました。私が中学に上がる頃まで順調だった事業は、その後低迷し、数年のうちに赤字操業に陥りました。景気の良かった時に手に入れたレジャーボートや会員制別荘の権利など換金出来るものを処分して会社の延命を図りましたが、もう打つ手は残っていませんでした。

 

高度成長期と共に歩んできた父親は、働いていればそのうち事業も上向いてくると考えていたため、深手を負う前に出口を探すと言う選択肢が頭に無く、私が就職直後に会社を畳むよう促した時には、普段感情を露わにするようなことが無かった父は顔を紅潮させてそれを拒みました。

 

しかし、最初の不渡りを出した時、銀行取引が出来なくなることも時間の問題と観念して、ようやく私の説得に応じてくれました。自営業に定年はありませんが、自分の潮時を察した時、それが父の定年だったのです。

 

バブル崩壊後とは言え、幸いにして当時住んでいた家は期待以上の値で売れました。負債を返済した後に、家族でよく訪れた観光地に終の棲家を建て、それなりの老後資金も確保することも出来ました。

 

その六年後に父は亡くなりました。経営者としては有終の美を飾ることは叶いませんでしたが、会社経営の苦労から解放され、穏やかな晩年を送ることが出来たのは幸運だったと私は思います。

 

幸せの取り違い

それから三年経ち、私が最初の海外駐在から帰国した直後に、私は母親からお金を用立ててくれないかと相談を持ち掛けられました。老後資金として取っておいたはずの貯金はすでに底をついていました。

 

私は母から最初にその話を聞いた時、てっきり詐欺にでも遭ってお金を騙し取られたのだと早とちりしたくらいでした。しかし、よくよく話を聞いてみると、父と二人で隠居生活を開始した当初から老後資金を大きく取り崩して暮らしていたようです。

 

両親はお金を使えることを幸せと勘違いしていたのでしょう。わずかばかりの年金と限られた老後資金を冷静に考えれば、どのような暮らしぶりが自分たちに相応しいのか分かるはずなのですが、二人にはそれが出来ませんでした。お金では幸せを買うことなど出来ないのに、それを取り違えたまま気づかずにいたのです。

 

本人たちは決して野放図に散財していたつもりは無く、母も倹約に努めたとは言っていましたが、長年の生活レベルを下げることに失敗したのは結果を見れば分かります。そして、そのような事態になるまで注意を払わなかった私の迂闊さも原因の一つでした。

 

生活の見直しにかかる時間

当時私は仕事が忙しく、頻繁に母親の様子を見に行くことは出来ませんでしたが、月に一度は母の元に足を運びました。

 

両親の家はとにかく物で溢れていました。少し気に入ったものがあると後先考えずに買ってしまうのが母の悪い癖でした。そして、買ってしまうと興味を失い誰かに簡単に譲ってしまうのです。家の中には、そのような貰い手の決まっていない物が無造作に積まれているような状態でした。

 

私はそれらをいちいち母親に確認しながら、換金出来るものは下取り業者に引き取ってもらうなどして、少しずつ家の中の片づけを進めました。

 

そして、母には無駄な買い物をしないよう何度も言い含め、買い物をした時のレシートは全て取っておくようにさせて、私が顔を出した時にそれを回収し、帰宅後に妻に手伝ってもらい家計簿をつけました。

 

母が慎ましくも身の丈に合った生活を送れるようになったのは、リウマチの進行で外出機会が減り、また、無駄な物を買わない習慣が身に着いてからでした。

 

反面教師

貯金が底をついても母が路頭に迷うことが無かったのは、負債を抱えていなかったからでした。もし、家を担保に借金を拵えていたら – と考えると背筋が寒くなります。その点、母が妙な見栄を張らずに私に相談してきてくれたことは有難いことでした。

 

親を支えることは子としての務めなのかもしれませんが、私としては、自分の先行きすら不透明な中、親への資金援助を続けることに戸惑いと不安感を抱きながら過ごしていました。今となっては「そんなこともあった」程度の思い出でしかありません。

 

私の親の世代は、働いていれば何とかなる時代に生きていたのだと思います。借金を抱えていても、右肩上がりの収入とインフレは、借金の不安を取り除いてくれたことでしょう。先の不安を感じないまま過ごしてきたため、老後資金が底をつくことのリスクにも無頓着だったのでしょう。

 

私が会社に入った頃、先輩社員の中にはバブル崩壊後の不況を一時的なものと考えていた人も少なく無かったようです。長い平成不況の後、企業収益の回復と言う“好景気”が喧伝された時期もありましたが、それは、個人レベルで明るい展望を描けるようなものでは - 少なくとも私の感覚では - ありませんでした。

 

親を反面教師と呼びたくはありませんが、私は両親のお陰で多くのことを学びました。老後資金を取り崩し過ぎていることに薄々気づいていても、生活レベルや消費習慣は一朝一夕に変えられるものではありません。自分の親を見てそれが良く分かりました。持続可能な生活を送るために出来ることは、自分の身の丈に合った生活スタイルを早くに見つけることです。