和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

終活の手伝い(2)

老いる母

母は、まだ人の世話になるほど老けてはいないと言いますが、傍から見れば、すでに安心して独り暮らしさせておける状態ではありません。

 

家の中の様子を見ると、明らかに三年前と比べて母の衰えが進んでいることが分かります。整理整頓は行き届いておらず、今回、三泊した間、私はほとんどの時間を掃除と片づけに費やしました。

 

体の衰えは本人が気づかなくても暮らしぶりに現れます。恐らく、毎日のように顔を合わせていれば、私も感じなかったのかもしれませんが、久しぶりに再会してみると、その変化がはっきりと分かります。

 

母にとって、自活することは年を追うごとに重荷になってきていることは間違いありません。そもそも、今の家は、車を運転する父がいて成り立つ生活環境でした。車を運転しない母にとっては、買い物ひとつとっても大仕事です。交通手段は一時間に一本程度のバス以外に無く、それを使って半月に一度、スーパーに買い出しに行っていた母でしたが、バス停まで歩くことも次第につらくなり、タクシーを使うようになりました。買い物の代金以上に交通費にお金をかけてしまっているようでした。

 

かつてのバブル期には、企業の保養所や貸別荘、そしてペンションも多く、町全体に活気がありました。それから約三十年経ち、様子はすっかり変わってしまいました。以前は、年間を通して観光客で賑わっていた最寄り駅の周辺は寂れてしまい、宿泊業や飲食業の多くは廃業し建物の残骸が放置されています。

 

家の周辺も同じです。両親が転居した頃は、同じようにリタイア後の余生を楽しもうとする老夫婦が多く住んでいましたが、今では買い手がつかない空き家が目立っています。住人が亡くなってもそれを引き継ごうとする相続人がいないのでしょう。また、管理する余裕も無いのか、空き家のほとんどは伸び放題の雑草に覆われて無残な姿を曝け出しています。

 

私は、母に今の家を売って、もっと便の良いところに転居することを勧めようと考えていたのですが、周囲の状況を見ると簡単ではないことが分かりました。老後生活を満喫するための別荘地とは程遠い、限界集落に変貌してしまった地に新たに移り住もうと考える人はいないでしょう。母の家は築三十年で上物の価値は無く、土地代もバブル期から大きく値を下げていますが、それでもさらに売値を下げない限り買い手はつかないでしょう。

 

先立つものが無ければ引っ越すことは出来ません。こんなことが分かっていたなら、私が親の老後資金をしっかり管理すべきでした。

 

終活の手伝い

私が母の元をひとりで訪れたのは、妻が病気療養中のこともありましたが、妻や娘たちのいないところで母の本心を探ることが目的でした。

 

母に残された時間はそれほど多くはありません。自分の人生の締めくくりをどこまで真剣に考えているのか、私はそれを知りたかったのでした。

 

恐らく母は、これからの日々を淡々と過ごしながら、たまに義理の娘や孫との会話を楽しみ、ある日、ぽっくりとこの世を去ることを漠然とイメージしているのでしょう。今住んでいる家や原野商法で“掴まされた”土地の処分を、生きているうちに自分で済ませようと言う気配は感じられません。

 

私が単刀直入に母に聞くと、「任せる」と一言。無責任で暢気な言葉に私は怒る気もありませんでした。そんなことだろうと想像していたからです。以前の私ならここで親子喧嘩になるところでしたが、私自身、自分の終活を考え始める年に差しかかり、親の分も含めて自分の終活と捉える必要があるのだと思い始めました。

 

本来、終活は自分の人生の終え方を考えるもので、たとえ親とは言え、その手伝いを私がするのはあまり気が進みませんでしたが、現実的な話として、親が亡くなった後に厄介な問題が残っている状態にはしたくありませんでした。自分に火の粉が降りかかってくることも、誰かに迷惑が掛かることも本意ではありません。

 

私には弟が二人いますが、父が亡くなった後の相続問題に絡んで母とは疎遠になっています。それについては、また機会があれば記事に書きたいと思っていますが、今の母には煩わしいことを自ら解決しようとする意欲や責任感が残っていません。

 

母は、終活を息子に「任せる」と言いながら、今の家から引っ越すことには乗り気ではありません。自分の連れ合いとの終の棲家として住み始めた家なのですから、その気持ちが分からないではありませんでしたが、それ以上に、老い先長くない身で、これから新しい環境に移り住むこと自体が億劫になっているのだと思いました。その一方で、父と同じ墓に入るのは嫌だと言います。父方の先祖とは一緒にされたくないと頑なに拒絶します。そう言いながら自分の墓を自分で用意するつもりはありません。なんとも困った状況ですが、そんな親の終活を手伝えるのは私以外にいないのが現実なのです。

 

これからは、出来るだけ母の様子を見に行く機会を増やそうと考えています。私に出来ることは限られていますが、母が最期に「これで良かった」と思えるような終活を手伝いたいと思っています。