なんでも屋と職人
今は、組織の活性化の観点から、部門間での定期的な人材ローテーションが必須になっていて、若手、ベテランに限らず、数年毎に異動させられるのですが、ジョブローテーションをルール化した頃から、それぞれの部の特色は薄れ、“顔の見えない組織”化が進んだような気がします。
かつては、どこの部署にも生き字引的な社員がいて、仕事で困った時など、「あの人に相談すれば間違いない」と頼れる人が結構いましたが、今は、一つの分野に長く深く携わってきた社員はほぼ“絶滅”してしまいました。
生き字引社員の中には、会社が定期的なジョブローテーションをルール化した際に早期退職した者もいます。長く同じ仕事に携わって来て、自分の能力を自負している“職人的”な社員は、畑違いの仕事を一から学ぶより、積み上げた知識・経験を活かせる別の道を選びます。
ジョブローテーションと相まって、どこの部署でも業務のマニュアル化を進めていますが、それも一長一短です。これまで特定の人間が囲い込んでいた属人的な業務を標準化することで、人が代わっても滞り無く仕事を進めることが出来るようになった部分もありますが、マニュアル化では埋められない、行間に存在するはずの知見は継承されずに散逸する結果となります。
今になって、会社はようやく、人材ローテーションのあり方を見直そうとしているようです。そもそも、人手不足の中で、杓子定規に定期異動を続けるのが無理になってきたこともありますが、社員の中には習得した専門知識をより深化させたいと望む者が少なくありません。器用なジェネラリストでは無く、特定分野のプロフェッショナルの道を探求したい社員にとっては、見分を広めるためのジョブローテーションは最初の数年で十分でしょう。
働き方の多様化を考えれば、ジョブローテーションによる人材の均一化・均質化を図るよりも、“なんでも屋”と“専門の職人”が良い具合に混在している会社の方が好ましいのでは、と私は思います。
底上げ
部内で作成される文書は結構な数に上ります。その中でも決裁を得るための承認文書や役員会での説明資料は、軽微な間違いが一つでもあると内容全体の信用性も疑われることになるため、確認作業は入念に行なうものです。
本来、部下が起案した文書は上司の確認を経て社内に回し始めるのですが、私の部署では、部長も課長もオーバーフロー状態で、上司のチェック機能が働いていません。
そこで、私が部内で作成された文書の校閲を引き受けることになったのですが、条件として若手社員を一人つけてもらうことにしました。
会社は人材育成の一環として、若手・中堅社員向けに社内外の講師を起用した基礎講座やセミナーを常設しましたが、やはり、実地で積んだ経験に勝るものはありません。
あまり良い事例では無いかもしれませんが、法律知識に長けた弁護士も、場数を踏んできた経験豊富な会社員と比べると、交渉戦略を考えることについてはあまり頼りにならない、と言ったことが少なくありません。
いくら仕事を標準化させたとしても、知っておいてもらわないと仕事が先に進まない基本的な知識があって、それらは新入社員の頃に、あるいは入社前に会得していて然るべきものです。
業務上のスキルや知見の蓄積、そして、それらを発展させて仕事につなげていくには – これは仕事に限ったことではありませんが - 基礎を疎かには出来ません。
私とペアを組んでいる若手社員は、若手とは言っても中堅に差しかかっている年齢です。ひと昔前のように人材の裾野が広い時代だったら、後輩の一人や二人、面倒を見る立場になっていてもおかしくありません。
ところが、部内のポジションが一番下っ端なために、一日の多くの時間を雑用に費やすことになり、これまでスキルアップにつながるような仕事を任せてもらえませんでした。
私が、自分に若手社員をつけてほしいと希望したのは、社内文書の作成作法を学ばせることを目的にしたものではなく、文書の校正・校閲を通じて部内の業務に精通してもらいたかったからです。
もちろん、彼一人をマンツーマンで指導しただけでは、部の基礎体力の底上げに直結はしません。また、彼自身の意欲を向上させることにならないのかもしれません。ただ、私はこのままでは前途有望な人材を飼い殺ししてしまいかねないと思ったのです。
社員育成のための教育プログラムも大事なのですが、実際の現場で身に着けた知識やスキルに勝るものは無く、OJTはなおざりにはでいないはずなのですが、今の部内には後進の育成を考える余裕はなさそうです。皆それぞれに抱える仕事で手一杯なのです。