和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

優越感とは

悪事千里を走る

在宅勤務の開始以来、部内の人間が一同に会する機会がほとんど無くなったことから、人事部は各部単位、あるいは課単位で“コミュニケーションタイム”を設けることを推奨しました。

 

私の部では、全員が会話に参加できるように課ごとでは無く、数名のグループに分かれてフリートークを行なうようにしました。頻度はそれぞれのグループで決めますが、私のグループは一回15分~20分程度、週三回を目途にコミュニケーションタイムを行なっています。

 

私の他には女性社員2名と4月から兼務となった男性社員1名。女性社員はそれぞれ幼稚園と小学校に通っているお子さんがいます。

 

コミュニケーションタイムは参加者が持ち回りで話題を振ることになっており、“お題”に制限はありません。業務とは全く関係の無い話でも構わないのですが、ためになりそうな雑学的な話題が多い傾向にあります。

 

先日、ほぼ定番となった人手不足の話題から、兼務社員が自分の部署の“使えない後輩”の様子を披露し始めました。彼としては、沈鬱な話題をわざとユーモラスに伝えるために後輩の失敗談を使ったのかもしれませんが、私はやんわりとその話を遮りました。

 

私は彼が引き合いに出した後輩社員とは面識がありません。本当に使えないのかどうかも分かりません。面識の無い人の失敗エピソードには興味が無いのです。

 

その場にいない人の人柄を称えるような話なら私はストップをかけませんでした。良い噂は社内でいくら広まっても害にはなりません。しかし、悪い評判は恐ろしく早く拡散します。一旦拡散してしまった噂は、悪い話ほど野火のように広がり、本人がどんなに否定したくても打つ手がありません。

 

根も葉もない噂や尾ひれのついた話が独り歩きし、それによって悔しい思いをした人を私は何人も知っています。悪事千里を走る – そのことわざは嘘ではありません。少なくとも、私や私の属する部署から、そのような噂を発信することは避けたいと願いました。

 

洒落でも遊びでも無く

職場で立場の弱い部下や後輩を揶揄う“遊び”は今に始まったことではありませんが、会社がセクハラやパワハラの防止に注力するようになって以来、あからさまな事例を耳にすることは少なくなりました。

 

ハラスメント研修が一定の効果を上げていることは確かですが、誰かを見下したり他人の失態を広めたりすることで鬱憤晴らしをする人間がいなくなったわけでは無く、表面上目につかなくなっただけなのだと思います。本来、自分が抱える不満は自分の問題で、不満解消は自己完結すべきものです。それに気づかずに、誰かを貶めて憂さ晴らしをしても、嘲笑した後には消えたはずの不満が燻ぶり続けるだけで、自分の置かれている状況が変わるわけではありません。

 

他人の失態や不幸を聞きつけて楽しむだけでは満足せず、それを方々で言い散らす人間は、話した相手が自分と同じように不満解消のネタを欲しがっていると思っているのでしょう。

 

そのように人の噂を酒席の肴にしたり退屈しのぎの雑談に紛れ込ませたりするのは、品の無い人間のすることと思っていますが、歳相応の品性を備えていると思っていた人から他人の陰口を聞かされると、悪習を正すことはとても難しいことなのだと感じます。挙句の果てに、それを諫める側が「頭が固い」と文句を言われるに至っては、誰とも口を利かなくて済む世界に逃げ込みたい衝動に駆られてしまいます。

 

他人を貶めても自分の信用が高まるものでも無く、何の見返りもありはしないのですが、それを趣味とする人間は、自分の同類が一人でも多いことに安心感や連帯感を覚えるのかもしれません。私にはその辺のことはよく理解出来ません。理解したいとも思いません。

 

逆に、どんな変な噂を立てられても、当の本人を良く知っている者からすれば、噂を鵜呑みにすることは無いと思います。むしろ、そんな話を聞かされれば、自分が嘲笑われているように感じることでしょう。

 

話を盛り上げるためのユーモアは否定しませんが、職場に相応しいセンスは必要です。噂話が好きな人が悪の根源とは言いませんが、誰かを傷つけるような話を無節操に広めることは慎むべきです – と言ったところで、自分が噂話の被害者にならなければ、それが洒落や遊びと言った軽いものでは無いことが分からないのだと思います。

 

件のコミュニケーションタイムの後、兼務社員は顔を出さなくなりました。人手不足の中、“使えない後輩”に足を引っ張られながらも何とか仕事を回している自分。そんなささやかな優越感に浸る間を与えずに話の腰を折った私を彼は疎ましいと思っているかもしれません。

 

私は話を遮った理由を彼に説くことはしませんでした。他の社員がいる前で説教をするつもりなどありませんでしたし、説明するまでも無く分かるはずと考えたからなのですが、残念ながら、彼と再び話をする機会はもう巡ってこないのかもしれません。