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名も無き家事の負担 (1)

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家事のチリツモ

在宅勤務開始以来、社内の各部署では、1日のどこかでコミュニケーションタイムを取ることになっています。私の部では、当初、部全体で肩肘張らない話題を共有していましたが、その後、紆余曲折を経て、今は4~5人程度の小さなグループごとでフリートークを行なうようになっています。

 

私のグループは、私とペアを組んでいる若手社員の他に、女性社員が二人います。彼女たちは、それぞれ、幼稚園と小学校に通う子供がいます。

 

こんな顔ぶれなので、毎日15分~20分ほどのコミュニケーションタイムの多くは家事や育児の話題になってしまいます。私が職場復帰する前は、女性二人の話題に若手社員が一人で対応していたと言うのですから、私はある意味、この若手社員のコミュニケーション能力に感心しました。

 

それはさておき、仕事と家事を両立している女性陣は、しばしば、旦那さんが家事に協力的では無いとの愚痴をこぼしていました。私は、今や、仕事と家事は夫婦が公平に負担するものと言う考えが普通と思い込んでいたので、彼女たちの不平は、誇張した不幸自慢の類なのではと疑ってかかっていました。

 

しかし、もし、彼女たちの不満が本当なのだとすると、そのような愚痴を聞かされて良い気持ちはしません。しばらくは彼女たちの愚痴を聞き流していましたが、先日、具体的に何が問題なのかを尋ねてみました。

 

女性二人の共通した不満は、“(旦那さんが)言われたことしかやらない”、“夫婦で在宅勤務になったのに家事負担が減らない、むしろ増えた気がする”、“自炊頻度が高まった”と言うもの。3番目は、コロナ禍で外食がままならないため、自炊の手間が増えたにも拘わらず、その負担を全て自分が被ることになった不満だそうです。また、家事全般を通じて、細々したことは全て自分たちに降りかかってくると嘆いていました。

 

例えば、旦那さんに炊事を任せると、料理が完成した後のキッチンは散らかり放題。鍋やフライパンを洗う、調味料を元の場所に戻すなどの片づけは、全て自分たちがやることになるらしいのです。また、子どもが急に病気になった場合は、病院へ連れて行ったり看病したりするのは、ほぼ100%女性陣の役目になっているようです。

 

その他、洗濯物の取り込み、畳んでクローゼットに仕舞う作業、洗い物の拭き上げから片づけ等々、旦那さんの知らない(?)家事がたくさんあるとのことで、世間ではそのような作業を“名も無き家事”と言うのだと教えてくれました。

 

もう一つ、彼女たちの話を聞いていて感じたのは、家事の主導的役割は女性陣が担い、旦那さんは、サポート役に回っているような印象です。大半の家事は女性が行ない、手が足りない作業や予め割り当てられた家事のみを旦那さんが行なう。そんな役割分担が頭に浮かびました。これでは、奥さんが倒れてしまったら、家事が回らなくなってしまうのではないかと心配になりつつ、夫婦共に在宅勤務なのだから、勤務時間外を有効に使うことが出来れば、もっと家事が捗るのではないかとお節介な考えが頭に浮かんできました。

 

不公平感はどこから

女性二人の話は、私の予想を超えてヒートアップしました。話の途中で、「それでも、旦那さんが家にいる時間が増えたのだから、少しは家事の負担が減ったのでは?」と聞いてみようと思ったのですが、その類の質問は、火に油を注ぐ結果にもなり兼ねず、私はあえて聞き役に徹して、コミュニケーションタイムが終わるのを待ちました。

 

いずれにせよ、在宅勤務のせいで、女性二人の不満は減るどころか増えてしまっている様子です。夫婦間の家事に対する公平感は保つことが不可能なのでしょうか。

 

家事は、一つ一つの作業は大したものでは無いとしても、それらをかき集めると案外大きな負担になることは理解できます。しかし、私は、作業の量的な負担と言うより、むしろ、小さな不公平感の蓄積が女性陣の不満の根底にあるような気がしました。

 

名前がついている家事であろうと、名も無き家事であろうと – もちろん、育児も含まれますが - 家の中のことは全て夫婦の協力で支えられるものだと思います。夫婦どちらかに負担が寄せられてしまえば、それは、健全な状態ではありません。

 

負担を強いられていると感じながら家事を行なうのは、精神衛生上も決して良いことではありません。家事の本質が何かを考えれば、それは、強制的に“やらされる”ものでは無く、喜んで引き受けるもののはずです。家事は、誰のため、何のために行なうものなのでしょうか。(続く)