和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

貯められないもの(1)

母の日

上の娘は今年で社会人三年目です。学生の頃は親の目から見ても心許ない娘でしたが、いざ就職すると仕事に対する責任感が芽生えたのか、会社員らしい雰囲気が出て来た気がします。

 

そんな娘も週末は疲れが溜まっている様子を隠し切れません。入社当初は目途が立ったら独り暮らしをすると“宣言”していた娘でしたが、今はそのような気配も無く、親としても娘の独立を急き立てる状況ではありません。

 

むしろ私としてはこの二年余りの間、家にいる時間が増えた分、今の家族の形が出来るだけ長く続くことを心の底では期待しているところがあります。いずれは娘二人が独り立ちする日が来るのでしょうが、もう少しだけ一緒に過ごしたいと思っています。

 

ゴールデンウィークの最終日は母の日でしたが、我が家では一日早く土曜日を母の日にしました。少しばかり夜更かしをしても次の日が日曜日なら時間を気にせずに過ごせるからと娘たちからの提案でした。

 

昨年は、抗がん剤の副作用のために妻の体調が思わしく無く、母の日を“延期”していましたが、その後タイミングを逸してしまい有耶無耶になってしまっていたので、今回は二年ぶりの母の日です。

 

二年ぶりだから盛大にと言うことは無く、いつもの我が家どおりケーキとワインを楽しみました。妻はまだ治療中と言うこともあってほんの少量をゆっくり味わっていましたが、娘二人は私たちの子供らしく豪快な飲みっぷりを披露しました。

 

私も娘たちにつられて、久しぶりの夜更かしをしてしまいました。世の中の自粛ムードは一時期よりも緩んできた感がありますが、我が家は妻の手前、自制した生活を継続しています。そんな中でたまに羽目を外す程度なら大目に見てもらえることでしょう。

 

生活力

ゴールデンウィークの最終日は下の娘と近所のスーパーに買い物に出ました。ここ一年近く、別のスーパーの宅配サービスを利用していて、足りない食材だけ買い出しするようにしていました。宅配サービスでは必要な物のみを購入することになるので、無駄な出費を抑えられると考えたからでした。

 

たしかにそれは正解だったのですが、スーパーでの買い出しでも、予め買い物リストに書いた物以外は買わないと決めてしまえば同じことだと今さらながら気がついたことと、商品の単価を比べると買い出しの方が割安なので、最近は週に二回ほど食材や日用品の調達に出ることにしています。

 

 

買い物をしていると物の値段に敏感になります。一回あたりの予算でどのくらいの食材を買うことが出来るのかが分かります。割高になっている食材は買い控えて代用品を探したり、予算内で調達した食材で作れる献立を考えたりと意外に頭を悩ませるものですが、生活力を養うためには良いトレーニングになります。そのため、買い物は家族交代で行なうようにしています。

 

“生活力”と言うと、収入の方に目が行ってしまいがちですが、私たち夫婦の場合は、毎月、そして一年を通じてのランニングコストを如何に自分たちの身の丈に合わせるかを考えます。

 

会社員の生涯収入はたかが知れています。自分たちが一生のうちで必要なものに優先順位をつけて“収入のパイ”を切り分けて行く一方で、日々の生活に要する固定費をどのように抑えるかを考えれば、お金の使い方は自ずと定まってきます。

 

支出を切り詰めることが自分や配偶者にとって大きな負担になってしまうと、生活に潤いが無くなり息が詰まってしまいます。だからこそ“メリハリ”が肝心で、自分が本当に必要とするものを見極める目が“必要”になります。

 

隣人や知人に対しての見栄や対抗意識が捨てられなかったり、無駄な付き合いを止められなかったりすれば、不要で無用なことにお金を費やすことになってしまいます。自分にとって必要なものの絞り込みと優先順位付けによって、お金の出口は思いの他容易にコントロール出来るものです。

 

また、定年間近になってから慌てて老後生活を見据えたダウンサイジングに取り組むのではなく、思い立った時から自分に相応しいと思える生活を送れるように意識を変える方が楽です。ライフスタイルの習慣化にはそれなりの時間が必要になるので、ストレス無く変化を受け入れるには順応するための時間は長いに越したことはありません。

 

お金に不安を感じる人は、きっとどれだけ蓄財しても満足することは無いと思いますが、パイの切り分けと身の丈にあった生活を知ることによって、お金のために生きることは無くなるのではないかと考えます。

 

結局は、お金はどれだけ溜め込んでも安全装置にしかならず満足感を与えてくれるものではありません。お金は使い道とタイミングで価値が決まるものだと思います。

 

下の娘が就職すれば、妻と私の親の務めは終わります。いずれまた夫婦二人だけの生活に戻ることになるのでしょうが、その先にあるのは時間に対する不安です。(続く)