和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

腐らない気持ち

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こうすればうまく行く

気持ちと言うものは明るくなったり暗くなったり、あるいは浮いたり沈んだりするものです。

 

以前、中堅社員向けにワークライフバランスについての社内セミナーがありました。お招きした社外講師の方が、自己紹介の際にご自身のこれまでのキャリアと気持ちの動きをグラフで示されました。横軸に仕事やプライベートでの転機となるイベントが並び、縦軸にはその時々の気持ちの高揚・消沈を表したもので、ジェットコースターの軌道を真横から眺めるような図になっていました。

 

長い人生、おそらく誰もが勾配の差こそあれ、気持ちが高まったり、沈んだりを繰り返して生きているのだと思いますが、その講師の方の気持ちの曲線は、上がったり下がったりを繰り返しながらも全体的に上昇傾向になっていました。それは、成功者の気持ちの曲線です。

 

細かい話の内容は忘れてしまいましたが、気持ちが沈んでいる時こそ新たな目標を見つけてチャレンジすることで気持ちの切り替え - 下降から上昇へ – が可能になる、と言うようなことを仰っていたと記憶しています。

 

せっかくお運び頂いた方の講義に難癖をつけるつもりは毛頭ありませんが、“こうすればうまく行く”的な話は、実際にもがき苦しんでいる人間にとってはあまり参考にならないと感じました。いや、参考にはなるのかもしれませんが、言われた通りにやったからと言って上手く行くわけではありません。

 

“こうすればうまく行く”と言うのは、“こうしたらうまく行った”人の成功の法則でしかなく、聴き手としては、御説を鵜呑みにしてはいけないと言うことをよくよく弁えた上で“参考に”すべきなのでしょう。

 

腐らない気持ち

いわゆる“うまく行っている”人は、本人の努力もさることながら、周囲の環境に恵まれている面も多分にあるのではないかと思うのです。良き理解者や信頼できるパートナーの登場が人生の転機となるなど、努力とは別のところで物事が好転することは案外見逃しがちですが、人生が運に左右されることは否定しがたい事実ではあります。

 

人生が運任せなら、努力など不要では無いか – かつて私の部下がそう吐き捨てました。彼女は上司と反りが合わず、半ば弾き飛ばされるように私の部署に異動して来たのですが、仕事上の男女差別やマタハラで意欲を殺がれたと言っていました。どうせ正当に評価されないのなら真面目に仕事に取り組むのは無駄。それが当時の彼女の心情でした。

 

部下のやる気を殺ぐ上司が一番悪いのは確かなのですが、仕事に取り組む意欲を無くして損をするのは自分なのです。上司との巡り合わせの良し悪しが昇進を左右することは珍しいことでは無く、自分の努力が正当に評価されていないと感じることも普通にあります。そのような“我慢の時”に消沈し切ってしまえば、それこそ浮かばれないまま会社人生を終えてしまうことにもなり兼ねません。

 

私は彼女に、腐ってる暇があるなら、いつでも転職出来るくらいに能力に磨きをかけろと言うようなことを話した記憶があります。反りの合わない上司との巡り合わせは悪い運だったとしても、それをどのように受け止めるかは自分にかかっています。

 

その後、彼女とは2年余りの間一緒に仕事をすることになったのですが、私の目から見て良い仕事をしてくれたと感謝しています。少しは私の言葉が彼女に通じたのかも - と言うのは私の思い上がりで、彼女は自分で気持ちの立て直しが出来たのでしょう。そして、彼女の能力を活かせる場として、私が推した異動先を蹴って、彼女は転職しました。

 

彼女の転職により人事異動の“玉突き”が振出しに戻ったことで、私は人事部から嫌味を言われました。私としては転職を唆したつもりでは無かったのですが、彼女から「部長の一言で火が点いた」と言われた時は、管理職としてあるまじき言動だったかとほんの少し反省しました。しかし、結果として、彼女が上向きの気持ちで新天地に歩を進めるのを見送った側として、私は自分自身、清々しさを感じました。

 

彼女が転職出来たのは、彼女の能力と努力の賜物ではあるのですが、良い転職先に巡り合えた運の良さもあります。逆に運の良い巡り合わせに手が届きそうになっても、気持ちが荒んでいたら好運を逃してしまったかもしれません。

 

私もこれまで酷く落ち込んでしまったり、無理に気持ちを高ぶらせたりして仕事に励もうと努めたことがありましたが、今にして思えば、思い詰める必要の無いことで自分を追い詰めて自分の気持ちを落ち込ませていたのでした。また、不本意なことをやり遂げるために自分を奮い立たせようとして、自分の気持ちに嘘を吐いていました。

 

今の状況が自分にとって本意であろうと不本意であろうと、気持ちを腐らせてしまっては、こちらに近づいてくるチャンスを見送ってしまうことにもなります。そう考えると、雌伏の時こそ、水面に釣り糸を垂らすように泰然自若とした心が必要なのだと思います。