和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

転職志願 やりがいを求めて

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仕事とやりがい

介護休業が終わり仕事に復帰した私は、若手社員の教育係的な業務を行なうことになりました。休業前、私は上司に閑職への異動の希望を出していましたが、“適当な”受け入れ先が無いため、当面は元の部署で働くことになりそうです。

 

今、若手社員と一緒に行っている仕事は、仕掛中の事案に関する契約書類の精読や修正案の作成が中心です。法務関係の仕事は、元々私が若い頃に行なっていたものだったので、嫌いな仕事ではありません。

 

人手不足を理由に、コーポレート部門の法務担当部署は手が回らず、しばらくの間、海外の法務的な仕事は外部の法律事務所に“丸投げ”だったのですが、それでは会社が主体となって契約交渉を進める力が削がれ、ともすれば、双方の代理人同士の緩慢な交渉によって法律事務所にお金が落ちるだけ、弁護士が漁夫の利を得るだけの結果になってしまうため、数年前から自前の法務担当の育成に着手していたところでした。

 

しかし、復帰初日から私の心は晴れません。ペアを組んだ若手社員から転職を考えているとの話を聞かされたからです。私の休業中に、彼は自分の上司である課長にそのことを伝えたところ、私の後任の部長も加わり、転職を思い止まるように説得されたとのことでした。

 

生真面目な彼は、転職活動を始める前に会社に仁義を切ろうとしたようでした。そんなことをすれば、引き留められるのは当然のこと。お互いに在宅勤務の中、リモートでの打ち合わせで、顔を見せない彼。転職活動は会社に気取られないよう水面下で行なうもの。私がそのことを伝えると、あちらからは、重いため息が聞こえてくるだけでした。

 

彼は、これまで労働環境や安全管理の仕事を担当してきたのですが、社内事情で、当面彼の活躍できそうなチャンスが期待できませんでした。そこで私の部長時代に法務・対外交渉の担当者として彼を引っ張ってきたのでした。当時私は、彼の希望する仕事の機会が来ればすぐに異動させることを伝えていましたが、なかなか好機は訪れませんでした。

 

そのような経緯を知っている私は、彼をこれ以上無理に引き留めるのは無理があるのではないかと考えました。今の会社で自分のやりたい仕事が出来ないのであれば、それを外に求めることは悪いことではありません。

 

就職して、自分の希望する職種につき、希望する仕事に取り組んでいる人もいるでしょうが、自分の意に沿わない仕事を任され、不本意ながらも何とかモチベーションを保とうと努めている人もまた相当数いるはずです。

 

仕事を仕事と割り切って、別のところで生きがいを見出せれば良し。そのような割り切りが出来ないのであれば、自らやりがいを求めて行動する以外にありません。

 

苦労と約束されない見返り

以前、いくつかの記事でも触れましたが、私は将来のことをあまり深く考えずに“何となく”今の会社を選び就職しました。この業界が好きで就職したことに間違いはありませんでしたが、取り立てて強い思い入れと言うものはありませんでした。

 

私は30代で心に変調を来たすまでは、仕事が生きがいだと自分に言い聞かせて生きてきました。その後、家族を第一に考えるようになってからは働き方が変わりましたが、それでも、任された仕事にやりがいを求めてきました。環境を変えるために会社を飛び出すと言う選択肢もありましたが、それが出来なかったのは、私の中に、仕事に対する“やり残し感”と、今辞めてしまうのはもったいないと言う漠然とした思いがあったからでした。

 

行き当たりばったりの、一時的な感情で動くことは避けるべきだとは思いますが、件の彼がそうでないことは、傍で見てきた私には分かります。

 

彼に尋ねると、自分の希望する仕事ができる機会を見つけることができるならそうしたいと、正直に言ってくれました。私は、それが彼の結論であるならば、上司や同僚に気兼ねせずに転職活動を進めるように促しました。会社の中に代わりはいくらでもいるのです。仕事の穴は転職する本人では無く、残された会社の人間が心配することなのです。

 

会社の勤続年数とかすかな将来への期待から転職に踏み切れなかった私。新たな活躍の場を求めて動こうとする彼。これまで会社に投じた自分の時間や労力。それに対する将来の見返りなど期待すべきでは無いのでしょう。もし、私が今の心を持って30代にタイムスリップ出来たとしたら、間違い無く会社を飛び出していたと思います。私は自分が出来なかったことを、勝手に彼に託してしまったのかもしれません。

 

私は、今の職場でやりがいを求めながらこの歳になってしまいました。自分を全否定するつもりはありませんが、彼の決断を羨ましく思う自分がいました。