ワイン知らずの俄か勉強
私は食通ではありません。外食して、口にしたものが美味しいのかそうでないのかは分かりますが、使われている素材の産地やどのような方法で調理されたのかを全て言い当てることなど出来ません。お酒も然りで、飲んでいるものが美味しいのかそうでないのかは区別がつきますが、それ以上のことは分かりません。
もっとも、美味・不味も主観的なもので、私の舌が信頼出来るかと言う点については不安が残りますが、今まで味音痴だと言われたことも無いので、人並の味覚はあるのだと考えることにします。
最初の海外駐在の時、取引先から食事に誘われてステーキハウスを訪れたことがあります。そこで初めて本場のステーキをご馳走になったのですが、その大きさに驚いたと言う話をすると本筋から外れてしまうので、ここでは控えます。
その時、肉には赤ワイン、魚介類には白ワインが合うものだと言う“常識”を私は初めて教えてもらいました。何分、それまでワインなどほとんど口にしたこと無く過ごしてきたものですから、味わう時の作法すら知りませんでした。注文を受けたウェイターがワインボトルを持ってきて、ホストがラベルを確認してから開栓、グラスに少量注がれたワインをホストが口にして、満足そうに頷くと、ウェイターが他の同席者のグラスにワインを注ぎ始めます。
恥ずかしながら、私はそれまで、そのようなかしこまった席には無縁だったので、作法もさることながら、ワインの良し悪しも分かりません。同席者が良いワインだと頷いているのだから、きっと美味しいワインだったのでしょう。ホストに「味はどうか」と聞かれて、分からないと答えるのも失礼かと思い、「とても美味しい」と返事をしたものの、正直、その時に口にしたものが美味しいものなのかそうでないのかは分かりませんでした。
ワインの味くらい分からなければ - 今考えると無駄な投資だったのですが、私は小遣いの大半を費やしてワインの俄か勉強を始めました。ワインに関する本を買い漁り、リカーショップでワインを買い求め飲み比べをしました。
いろいろな種類のワインを試してみましたが、品種や産地の違いなどは“言われてみれば分かる気がする”程度で、一向に舌が鍛えられるようにはなりませんでした。結局私の中ではワインは美味しいワインかそれ以外かしかありませんでした。
以来、私は自分がホストの時も、ワインのテイスティングはゲストにお願いすることにしました。二度目の駐在の時も、テイスティングはゲスト任せ。私は“ワイン通”にはなれませんでしたが、その顛末は酒席での余話にはなりました。
ワインに目覚める
今は、家族の中では私よりも妻や娘たちの方がワイン好きになりました。
妻は米所出身だけあり、結婚前から日本酒党で、私もその影響で日本酒を好むようになりました。たしか、結婚した年のクリスマスだったと思いますが、近所のスーパーで一番安い紙パックのワインを買ったことがありました。妻も私もワインの味は分かりませんでしたが、それを一口飲んだ瞬間に顔をしかめました。
当時の“あのワイン”の味を思い出すことは出来ませんが、美味しく無かったことだけは覚えています。妻はその記憶があるため、長くワインに手を出すことはありませんでした。もっとも、娘二人が幼い時は、妻は授乳期のためワインに限らずアルコール類は断っていて、改めて“飲酒宣言”するまで約6年のブランクがありました。
二度目の海外駐在の時、夏休みにナパ・バレーのワイナリー・ツアーに参加したことがありました。宿泊したホテルのコンシェルジュに勧められたもので、それほど期待をしていたわけでは無かったのですが、これを機に妻はワイン党になりました。
サンフランシスコ発の半日コースのバスツアーでしたが、数か所のワイナリーを回り試飲をしていると、バスの揺れも手伝って思いの他早く酔いが回ってきます。ツアー客の中には最初の2件目ですでに出来上がっている人々もいましたが、アルコールに滅法強い妻はブランクを感じさせず、全てのワイナリーで出されたグラスを飲み干してもしっかりしていました。
そのツアーで妻はワインの虜になってしまったようです。かつて私が買って埃を被っていたワイン関連の本を読み、いつの間にか私よりもワイン通になっていました。たまの外食でも自らワインリストを片手にウェイターとやり取りしている姿を見て、私は負けたと思いました。
母親譲り
日本では同じグレードのワインでもどうしても割高になってしまいます。でもせっかくなら美味しいワインを楽しみたい。そこで妻が考えたのが、月一回の“良いワインの日”でした。
帰国後は、外での付き合い以外は平日にお酒を口にすることは無くなったので、その分、月に一回だけ少しだけ贅沢なワインを楽しもうと言う趣向でした。
今は二人の娘もお酒が飲める年齢になったので、“良いワインの日”は私や妻が何も言わなくても娘たちがワインとおつまみを用意するようになりました。娘たちも母親に似ていける口なのは父親としては少しばかり心配ではあります。