和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

追い風と向かい風

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道具としての人間関係

他者との間での諍い事をそのままにしておくと、その人との関係はおそらくそこで途切れてしまうことでしょう。プライベートな関係であれば、“嫌な相手とは付き合わない” で済ますのも、自分のプライドをかけて - そのプライドにどれほどの価値があるかは人それぞれですが – 徹底的にやり合うのも自由です。

 

他方、職場では、いちいち周囲と軋轢を起こしていては仕事にならないので、第一に人間関係でのトラブルが起こらないよう努めることになります。中には相手の立場や気持ちなどに全く頓着しないと言う人間もいますが、かつてほどその数は多くなく、今はほとんどが“お行儀の良い社員”となっています。

 

それでも社内の同僚などと険悪な事態になった場合にはどうすべきなのでしょうか。

 

私なら、お互いの意見の相違は認めつつ、必要最小限のコミュニケーションを取れるように相手との関係改善に努めます。仕事に支障を来たさないことが第一だからです。

 

関係悪化を打開する際に、しばしば、どちらが先に“折れるか”に拘る人がいますが、そんなつまらない意地の張り合いに時間を費やすほど仕事が暇な人はいないでしょう。

 

私も立場上、部下の喧嘩の仲裁役を買ったことが何度かありましたが、ほとんどの場合、どちらの当事者も険悪な状態を続けることの重大さに気づいていません。職場の雰囲気を悪くしていること、業務上の連絡体制に支障を来たすリスクを増やしていることなど、喧嘩状態にある自分たちだけの話では無いことに考えが及ばないのです。

 

思うに、会社での人間関係ほど芯から気を遣う必要の無いものはありません。仕事を円滑に進めるために最低限の気遣いをしていれば良いのです。過去にトラブルがあって、顔も見たくない相手だとしても、表面的には友好関係を保つことは仕事の一部でもあるのです。

 

会社では仕事で成果を上げることが個々の社員に課せられた役割なのですから、人間関係は仕事を進めるために利用する道具に過ぎません。そう割り切ることができれば、ほんの少しだけ相手に歩み寄ることにそれほど抵抗は感じないのではないでしょうか。

 

会社は仲良しクラブとは違うので、友人を増やすことが目的ではありませんが、自分の仕事のために必要とあらば周囲の人間に動いてもらわなければならないのですから、いつでも協力を依頼できる同僚が多いに越したことはありません。そのために仕事がしやすい人間関係が必要なのです。決してウェットな関係は必要ありません。ドライでも安心して仕事が頼める仲間を増やすことが大事なのです。

 

追い風と向かい風

社内に一人や二人、それ以上に、恨みやつらみの対象がいる、と言う人も少なくないと思いますが、「いつかきっと意趣返ししてやる」などと思わないことです。相手が退職する時、あるいは自分が退職する時に、お互いに遠い日の苦々しい思い出を蒸し返す必要など無いのですから。

 

私の後輩で転職のために会社を辞めた者がいましたが、彼は、退職の挨拶メールに、かつての上司や先輩社員など、本人にとって嫌な思いをさせられた相手の“悪行”を書き連ねてほぼ全社員に一斉送信していきました。

 

本人としては、それで清々した気分を味わえたかもしれません。また、悪評を広められた側は地団太を踏んでいたかもしれません。しかし、他人のトラブルが三度の飯よりも好きと言う人間以外、第三者がそれを知ったところで何の得もありません。

 

私は、そのメールを見て「去り際に何とつまらないことをしたのだろう」と感じました。本人にとって爽快な意趣返しでも、見る人間によって、その行為は後ろ足で砂をかけるようにも映るからです。

 

その例に限らず、会社を去って行った人間が、元同僚のことを誹謗することがあります。それは、OB会やプライベートの集まりなど時と場所は様々ですが、いずれにしても、誹謗された相手としてはトラブルの当事者ではない第三者を通じて自分の悪評を聞かされるわけで、これが長く続けば気にしないと思っていても気持ちの良いものではありません。

 

自分が上司や同僚からハラスメントを受けていたとか、上司や同僚の背任的な所業を知っていた、それを糾さなければならないと思うのであれば、会社にいる間に自ら行動を起こすべきだったのです。

 

社内で訴えても取り合ってもらえなければ、労基署や司法に駆け込むことも可能なわけで、それをせずに、自分に害が及ばないことを確認して安全なところから石を投げてくる様は、直接の関係者では無い人間から見ても気持ちの良いものではありません。

 

私が会社を辞める時、自分の中にどのような感情が浮かんでくるのか予想してみます。これだけひとつの会社に長くいれば、良い思い出、悪い思い出はたくさんありますが、それらは全て自分が受け入れるべきもので、誰かのせいで貧乏くじを引いた、などと言うものではありません。自分の苦手な相手も反面教師として役に立っていると考えれば、全ての経験、人との付き合いは自分の成長の糧なのだと思うことが出来ます。

 

結局、職場の人間関係や辛い経験も、どのように消化するかによって自分にとっての追い風にも向かい風にもなるのだと考えます。

 

何かの原因を全て他者に転嫁してしまうのは、自分自身の責を軽くする一方で、いつまでも解決できない心のしこりを抱えて生きて行くことになるのではないかと思います。誰かに恨みを抱き続けるよりも、次の場所で自分の花を咲かせることを考える方が前向きに生きられるのではないでしょうか。