メールの両刃

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便利になって仕事が増える

昔の話を引き合いに出すのは私の悪い癖なのですが、私が若手社員だった頃は、急病で休む時などは、上司に電話を入れることが“常識”でした。また、仕事の指示や依頼、それに対する連絡や報告も、直接口頭で行なっていました。今の若い人には想像もつかない平成一桁代の職場の様子です。

 

その後、メールの普及はそのような仕事の常識を大きく変えました。休暇の連絡、業務の指示、依頼、その報告。ほとんどメールで済んでしまいます。隣の机に座っている同僚や、すぐ目の前にいる上司に対しても、口頭では無くメールで連絡しても、誰も奇異に感じることはありません。

 

今、私は日に数十通、酷いと三桁台のメールを受信していますが、これは、口頭で伝えれば1分とかからないことでも、メールで連絡するようになったこと、また、とりあえず関係ありそうな人間を全て“CC”に入れるようなことをしているためです。メールで仕事の効率化が図れるはずだったのに、かえって仕事が増えてしまっているのが現状なのです。

 

また、公に口に出来ないことをこっそりと誰かに伝えるためにメールを使うこともあります。しかし、それが社内の人間関係の悪化やいじめの温床になることもあるため、使う側がそのような点を弁える必要があります。

 

陰口の代償

数年前の話ですが、非常に気配り上手なH課長が、たった1通のメールで信用を失ったことがあります。部下からの信望もあり、周囲への思いやりに長けていた人物でした。ところが、ある女性社員が、H課長から受け取ったメールを部内のメーリングリストに送ったことから大騒ぎとなりました。

 

その女性社員は入社2年目でしたが、H課長と親しい間柄となっていたところ、些細な諍いに腹を立てて、H課長とのメールのやり取りを“拡散”したのです。ただし、その内容は男女の色恋と言うものでは無く、H課長の、他の社員に対する揶揄や中傷と言ったものでした。

 

当時私は賞罰委員会のメンバーだったので、その内容を目にする立場にありましたが、社員の身体的な特徴や、年齢、性別など、業務以外のことで揶揄ったり侮蔑したりする内容でした。そのような陰口に対して、件の女性社員も同調するような返信を行なっていました。

 

H課長と女性社員は厳重注意だけで済みましたが、二人は別の部署への異動となりました。今ならもっと厳しい処分が下っていたはずです。いずれにせよ、軽い気持ちでメールに書き込んだ陰口のせいでH課長は完全に信用を失ってしまいました。

 

そのようなことがあったから、と言うだけではないのですが、私は部内の人間関係のトラブルに気がついた時は、当事者から直接話を聞くようにしています。メールでのやり取りの場合、何かの間違えで関係者以外に話が伝わってしまうと取り返しのつかない事態になる危険もあります。

 

注意と叱責

私のような古い人間にとって、メールでのやり取りは、時に – 送信者の本意に関わらず – 攻撃的、あるいは無礼な内容と取られかねない危険を伴っているものに感じられます。そう考えると、物事の機微を正確に伝えるには、言葉を尽くして説明する以外無いと思っています。面と向かって話をしていると、表情や声音から、相手の気持ちを理解することも比較的容易です。

 

例えば、ある社員が何度か同じミスをしてしまった場合、直接本人を呼んで話をする時は、体調が悪いのではないか、プライベートで心配事があるのではないかなど探りを入れ、本人の顔色も見ながら言葉を選んで注意すると思います。しかし、これをメールでやろうとすると、かなり気をつけて文章を練っても、こちらの真意がうまく伝わらない可能性が残ります。

 

相手からしてみれば、「同じミスを繰り返さないように」、と注意を促すメールを見ても、上司の顔が見えません。自分が酷く叱責されたと受け止めるかもしれません。その結果、注意を受けた本人が委縮してしまうようなことがあれば、悪循環に陥ることもあるでしょう。

 

思いのキャッチボール

私より下の世代と話していて気になるのは、彼ら・彼女らは、言いにくいことほどメールで伝えようとする傾向があることです。私はむしろ、言いにくいことを言い合えるような良好な関係を築くことが大切だと考えているのですが、どうも基本的な部分で世代間のギャップがあるようです。

 

私は若い人たちの考えを真っ向から否定するつもりは無いのですが、言いにくいことをメールでやり取りして、何か良い結果が得られたかを知りたいと思いました。その質問に対して、ある入社4年目の社員は、「相手に分かってもらえなければ仕方ない」と言います。彼女にしてみれば、メールで自分の考えを伝えたことで、自分としてはやれることはやった、責任は果たした、と言うことのようです。つまり、相手に納得してもらえるか、お互いに理解し合えて、望むべき方向に進めるようになるのかは相手次第だと言うのです。

 

社内の業務では、「誰々にお願いしておきました」だけで済む場合もあるでしょう。それで事が進まなくても、依頼した相手が仕事をしなかった、と責任転嫁できるかもしれません。

 

しかし、会社の外ではその理屈は通用しません。利害関係にある相手との交渉では、相手にこちらの主張を受け入れさせるために、手を変え品を変え、時には脅したりすかしたりの働きかけをしながら、自分たちにとって有利な条件を飲ませるのが仕事です。件の社員のような – 最大限良い言い方をすれば – 淡泊なアプローチでは仕事になりません。

 

自分と違う考えを持つ相手と議論を戦わせるのは、簡単なことではありません。お互いに会社の看板を背負って交渉しているわけですから、粘り強く、時には胃が痛くなりながらも相手と対峙しなければならないこともあるのです。

 

もちろん、本当に体を壊すようなことをしろと言うつもりはありませんが、言うことは言ったからそれで終わりではなく、相手を動かす努力はすべきだと思うのです。

 

そんなことを若い社員と話していると、私の言わんとしていることに理解を示してくれる者もいれば、腑に落ちないと言う表情を残したままの者もいます。

 

コミュニケーションの道具が如何に進化しようと、私は、人と人とのつながりは信頼関係に基づくものであることに変わり無いと考えます。メールは時間を構わず自分の言いたいことを自分の都合で相手に送り届けることは出来ます。しかし、相手の都合や相手の心理状態を考えることは出来ません。

 

事務的な連絡であればそれで十分なのでしょうが、相談や議論をメールでのやり取りで行おうとすると、解決できる問題も解決できないばかりか、かえって悪化することもあるのです。信頼関係を築くには、やはりひざを突き合わせて、お互いの思いをキャッチボールするのが一番の近道だと思うのですが、それは時代遅れの考え方なのでしょうか。