和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

感情センサー

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安易なストレス解消

先日の記事で、年齢を重ねるにつれて涙腺が緩くなったと言う話を書きました。

 

私としては、何かを見聞きして感動するのは自然で、自分の周囲との関わりの中で感じたことをそのまま表現したり、喜怒哀楽を素直に表したりするのは、自分の精神衛生だけを考えれば健全なことだと思います。

 

ところが、私たちは、一歩家を出ると正反対のことを要求されます。特に負の感情を如何にコントロールするかは、組織の中で仕事をする際には、以前にも増して重要な能力と考えられています。

 

私が若手社員だった頃は、管理職の中にもエキセントリックな社員がいました。私も、さすがに殴られるようなことはありませんでしたが、何が逆鱗に触れたのか分からないまま、上の人間に怒鳴られたことがありました。その日の機嫌の良し悪しで言うことが違ったり、仕事が増えたりするのも珍しいことではありませんでした。

 

たとえ自分に被害が及ばないにしても、だれかが大声で喚き散らしている様を見て愉快に感じることなどありません。大抵は嫌な気分にさせられ、ついでに、大声で怒鳴られた時の自分を思い出し、さらに不快な思いを味わうことになります。

 

そのように、仕事の本質ではない部分で憂鬱な気持ちになってしまっても、当時の私は、あまり深く考えずに会社とはそう言うところなのだと、無理に自分を納得させていました。

 

今思えば、職場で怒鳴り声を上げたり、部下につらく当たったりしていた社員は、それで心の均衡を保っていたのかもしれません。近くにいる人間を安易に自身のストレス解消の標的にしてしまったのでしょう。もちろん、それは決して許されることではありません。

 

感情の拘束具

時代が変わり、かつて職場で黙認されていた振舞いでも、明確にハラスメントと認定される行為は禁じられました。今は職場で大声を上げる人間を見なくなりました。また、部下をモノのように扱う上司はいなくなりました。職場で感情を露わにする社員がほとんどいなくなったことは、私としては喜ばしいことです。

 

最早、仕事で議論を戦わせたり、部署内でのトラブル処理に奔走したりと、ストレスが膨らむ局面で感情を爆発させてしまう人間とはだれも一緒に仕事をしたいと思わないので、仮にそのような性格の持ち主が職場にいたとすれば、共同作業を伴わない自己完結する業務に回されることでしょう。

 

良き職場へと変貌を遂げた会社は、立場の弱い人間にとっては働きやすい環境になったことは間違いありません。その分、上に立つ人間は自分の行為がハラスメントに該当しないか常に注意を強いられますが、それは、職場での上下関係の健全性を確保するためには不可欠なことだと思います。

 

職場でのハラスメントや感情的な諍いが激減したのは、会社がハラスメントやアンガーマネジメントに関する社員研修を行なってきた成果です。そのような研修によって社員の意識改革が進んだとも考えられますが、意地悪な見方をすれば、感情に走りがちな社員に対する抑止力あるいは拘束具的な意味合いがあるとも取れます。いずれにせよ、それは、周囲に迷惑をかけないストレス解消法を教えてくれるものでは無く、問題の本質を解決してくれるものではありません。

 

私もアンガーマネジメントの研修を受講したことがあり、とても有用だとは思いました。ただし、それは、一時的な怒りの感情をどのようにコントロールするのかに主眼が置かれ、怒りを含めた自分の負の感情との向き合い方と言った、もう一段深い部分には触れず仕舞でした。

 

人前で感情をコントロールするのはトレーニングで可能になります。しかし、抑えられた感情は代償行為によってガス抜きされなければ、心の負担が増えるばかりです。

 

私の拙い経験でも、イライラの蓄積は心と体にとって何のメリットも無いことは分かります。ストレスに対する忍耐力は高まるかもしれませんが、それは、言わば“堪忍袋”の容量が増えるだけで、負の感情が霧消するのとは違います。負の感情を我慢するのが大人の振舞いなのでしょうが、溜まったものはそのままにしておいても消えて無くなるわけではありません。

 

周囲への八つ当たりはもってのほかですが、気持ちを押し殺し続けると、怒りばかりで無く喜怒哀楽全てを表すことに抵抗を感じてしまうのではないかと考えます。

 

やがてそれは、自分の周りで起こっていることに対する感度を鈍くさせてしまい、他者の心の機微すら感じ取ることが出来なくなってしまうのではないかと危惧します。

 

私の考えは大袈裟なのかもしれません。しかし、私たちが負の感情から逃げることが出来ないのだとすれば、どのように対処すべきかを考える必要があります。それは学校や会社で教えてくれるものではありません。

 

私は嫌なことがあれば、家族に愚痴をこぼしたり、気晴らしに散歩に出かけたりと、“溜めない”工夫をしています。楽しいことがあれば、家族にも話して聞かせます。逆に私が家族の愚痴を聞く側に回ることもあります。

 

自分の感情を誰かと共有する一方で、他者の気持ちを掬い取ろうとすることによって、感情センサーの“感度”を高め、自分自身の心の状態をより良く知ることが出来るのだと思います。自分の気持ちを整理することが出来れば、無理に感情を抑えようとする必要も無くなります。