和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

老親の心配と自分の心配

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母親の様子見

コロナ禍以前、平均すると月2回、隔週で週末に母親の様子を見に行っていました。私の結婚直前、事業に失敗した父親は会社を畳み、手元に残ったわずかばかりの資金を基に、当時観光スポットだった東海地方のとある地に終の棲家を構えました。

 

父が他界した後、母はそこで独り暮らしを続けていますが、リウマチのために両膝・両肘に人工関節を入れた体では、何とか自分の身の周りのことをこなすのが精いっぱいの状態でした。そんな母親が一昨年、人工関節の入れ替え手術を行ないました。

 

母親の元への様子見は、母が術後のリハビリを終え退院してから始まりました。たまになら気晴らしにもなったのでしょうが、月2回となると、私の中に小旅行を楽しむようなゆとりは無くなりました。電車で片道3時間あまり。最寄り駅でレンタカーを借り、母親を連れて食材や日用品の買い物などを済ませた後、家の掃除や食事を作ってタッパーに入れて冷凍して・・・などと動き回っていると、週末の2日などあっという間に過ぎて行きます。

 

当時、私は、こんな生活はずっと続けられないと悩み、母親を引き取るか、養護施設に入ってもらうか真剣に考え始めていました。私の体力の心配もさることながら、仕事への関与が疎かになりつつあったからです。

 

私は、自分の部下たちには、「休日は休む、社用メールは開封不要」などと言っていましたが、現地との時差の関係もあり、週末だからメールは見ないと言える状況にありませんでした。事情を知っている私の部下は、仕事に支障が生じないよう本当に良くやってくれました。

 

しかし、私の上司はこの状況を快く思っていませんでした。週末、親の介護を理由に仕事をサボっているのではないか。仕掛中プロジェクトがとん挫しないように良く考えろ。それは、パワハラにならないよう、婉曲的な言い回しの“忠告”でした。

 

上の人間の小言は気に留めない私ですが、私個人の事情で、同僚・部下へのしわ寄せが生じてしまうことは本望ではありませんでした。恐らく、私の中では、その頃に - 妻の病気が分かる前から - 管理職から降りたいと言う感情が芽生えていたのだと思います。

 

先送りした問題

頻繁に母親の健康状態を確認できるのは、安心できて良い面もあるのですが、私の体がついて行きませんでした。仕事のことも頭から離れませんでした。

 

そんなボヤキは妻にしか話せません。妻も真剣に母の介護の問題を受け止め、一緒に悩んでくれたのですが、その後にコロナ禍や妻の看病が始まったことと、母親の術後の快復が良好なことから、結果として様子見はしばし中断となりました。コロナ禍を幸いとは思ってはいけないのでしょうが、私が内心安堵したことは事実でした。

 

そもそも、母が公的な介護サービスを受けてくれれば、私の悩みもこれほど重くはならなかったのですが、何分、「知らない人間を家に入れたくない」と譲らない性格で、無理に介護サービスを押しつけてもトラブルの種になることは、実の息子の私が一番良く分かっていました。そのため、私は介護サービスの話はしてこなかったのです。

 

そんな母親を説得して、今は、食材は宅配のサービスを使うことにして、家の掃除は“出来る範囲”のことを自分でやるようになりました。母親の、「東京から身内が来ていることが近所に知れ渡ると、ここに住めなくなるかもしれないから」との言葉も、私の様子見を止まらせています。

 

現在、何と無く“回っている”状況ではありますが、これは単に問題を先送りしただけで、やがて母の病状の進行や認知症などの発症が起きる可能性を考えると、先送りでは何の解決にもなりません。

 

介護に向かう気持ちと心の葛藤

今の時代、老親の介護で苦労されたり、将来の不安を抱えておられる方々も多いことでしょう。そう考えれば、私だけが特別だとは思っていません。しかし、年老いた親を、これから年老いていく自分がどこまで面倒を見ることが出来るのか。考え始めると気持ちは穏やかではありません。

 

それと – これは個人の問題ですが – 母親に対する感情が私を悩ませます。未だに払拭できないこの感情が私の心を曇らせます。母親の“口から出まかせ”で、どれだけ迷惑を被って来たか。反面、幼少時には母親を愛していました。愛憎半ばの、整理できていない気持ちが、私の中で燻ぶり続けています。

 

たぶん、母親の方はそんなことはとっくの昔に忘れている、あるいは、端から気にもしていないのでしょう。妻も、過ぎてしまったことをいつまでも持ち出すのは“男らしくない”と、私を諫めます。頭では分かっているものの、本音の部分で払拭できない蟠りに依然として翻弄される私は、いつになったら男らしくなれるのか、甚だ疑問です。