和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

働かない働き蟻

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

真似ることと見習うこと

成功している人の真似をすれば自分も成功者になると勘違いしている人がいます。会社も然りで、私の勤め先のトップも、折に触れ、“業界のトップランナーから学ぶべし”と口にします。“学ぶ”は“真似る”の聞き違いなのでは、と疑問に思っています。

 

ここ数年、会社の業績は思うように伸びません。トップランナーと同じことをしているのに、なぜ当社は結果を出せないのか。経営陣は、その“なぜ”を自分たちで考えようともしないで、下の人間に分析を丸投げします。

 

意思決定、人事評価、ポートフォリオの構築。ボトムアップで提案しても、外側だけを取り繕ったり、“良いとこ取り”したりと、改善案が骨抜きになってしまっては、下の人間の意欲が削がれ、「昔の方がまだマシだったではないか」との愚痴が方々で聞こえるようになります。

 

経費節減、筋肉質な経営基盤。これまで散々、会社の“贅肉”を落としてきました。人員の削減は、会社の意図とは別のところで、若手・中堅社員の流出と言う形で進んでいます。贅肉を削ぎ落すつもりが、必要な筋肉まで落としてしまっている。それが現状です。

 

トップランナーから学べと言いながら、猿真似に興じているのは、本気で成功者から見習おうとすることが、きっと、逃げ切って有終の美を飾ろうとしている役員にとっては都合が悪いからなのかもしれません。

 

疲弊のしわ寄せ

合理化と効率化に励んでも、目標は手が届きそうになると遠退き、逃げ水のように追いつくことが出来ません。

 

残業するのが当たり前だった時代。効率化とは少ない人員で今までと同じ成果を上げることでした。一人一人の負担は大きくなりますが、それでも、結果を残すことができれば、疲れは吹き飛び、祝杯を上げに夜の街に繰り出す元気も湧いてきました。私もそんな時代を生きていた一人です。

 

人を減らしても、同じ成果を得られることが分かると、上の人間は、まだまだ人員削減できるのではないかと勘違いします。下の人間は、やっと乗り越えられた山の先にさらに高い山を見て言葉を失います。

 

労働環境を改善しなければ、良い人材を得られない。それが世の中の流れです。経営陣は、一般社員に残業させないよう指示しました。しかし、上は同じ成果を求めます。その結果、残業代のつかない中間管理職が遅くまで会社に残り、休日も仕事をするような事態となったのです。

 

若かりし頃に残業に明け暮れた管理職はまだマシです。仕事とは“そういうもの”だと思い込んでいるからです。かつての私もそうでした。

 

ところが、管理職の顔ぶれも変わってきています。比較的若い管理職からすると、役職に就いた途端、急に仕事が増えることになります。これまで上司が“溢れた仕事”を肩代わりしていたのが、自分に回ってきただけなのですが、当の本人からすれば、それは受け入れ難い状況です。

 

長年の習慣は簡単に変えることは出来ません。仕事が急に増え疲弊し、プライベートの生活に悪い影響を及ぼすような状況を、今の若い人たちは看過することはありません。たとえ給料が増えたとしても、です。そして、溢れた仕事と疲弊のしわ寄せは、逃げ場を失った者が負うことになります。

 

切れた糸は戻せない

5年余り前、海外駐在から帰国後に、私はある部署の課長になりました。前任者から引継ぎを受けたのは、部下は極力残業をさせないこと。溢れた仕事は自分で“何とかする”こと、でした。

 

海外にいる時から、会社の人手不足の話は漏れ伝わってきていました。特に就職氷河期の、採用を絞っていた世代は、中途採用での穴埋めが上手く行っていませんでした。私の課もその例に漏れず、私の直下は係長級が一人、その下に、一回り以上も歳の離れた若手社員が3名、と言う体制でした。仕事の棚卸と合理化を進めても、この陣容では就業時間内に仕事を済ますことは困難でした。

 

結局、私も休日出勤組の仲間入りをしたのですが、出社してみると、毎回顔ぶれは同じ部長や課長の面々でした。私は約7年間海外に駐在していましたが、駐在前には、幹部社員がぞろぞろと休日出勤している、こんな光景は見られませんでした。

 

その後、私が部長になってから部内で行なったことは、 “適度な手抜き”でした。部の増員が叶わない状況で、部員 – とりわけ課長・係長 – が疲弊しないためには、百点満点の仕事を追求してはいけないと考えたからです。どんなテストでも、大概8割正解していれば文句無く合格ラインのはず。仕事の成果の質が若干下がったとしても、合格ラインに到達していれば良し、と言うことにしたのです。

 

残業無し、休日出勤無し。有給休暇完全消化。完璧に達成することは出来ませんでしたが、改善の兆しは見えました。ところが、その後、私の部は他所の部署からの仕事を一部引き受けることになったのです。傍から見て、余力があると思われたのでしょう。上が決めたことに文句を言ったところで無駄な抵抗でした。

 

効率化に励んだばかりに次から次へと仕事を増やされてしまうのであれば、真面目に取り組む意欲は削がれ、働かない働き蟻が増えてしまっても仕方の無いことなのかもしれません。張り詰めた気持ちを無限に保ち続けることなど出来ないのですから。仕事に疲れ果てて、緊張の糸が切れてしまった社員は、心の病に倒れずとも、戦力では無くなってしまうのです。