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正義と悪意

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人を傷つける正義感

有名人の不倫は、週刊誌やテレビにとっては最高のネタであることは今も昔も変わりません。とりわけ、理想の夫婦としてもてはやされ、コマーシャル契約を多数抱えている場合には、スキャンダルはスポンサーのイメージダウンになることから、メディアはプライバシーを暴くことの正当性を堂々と主張できるわけです。

 

一般人の不倫の場合、“不倫された側”が被害者であることは間違いありません。しかし、たまたま不倫関係を知った第三者は利害関係者ではありませんので、余計な行動を取るべきでは無いと言うのが私の考えです。もちろん、不倫を正当化する気など毛頭ありませんが、夫婦間のことに他人が口出しするのは、被害者にさらなる苦痛を与えることにもなりかねません。

 

不貞行為を暴露する以外に、解決方法はあるはず。世の中の全てが、正義感や正論だけで片付くことなど無く、時には正義感が人を傷つけることもあるのです。

 

いつもこの類のニュースを目にするたびに、ふと頭を過る出来事があります。もう十年以上前の話ですが、後味の悪い結末に、今でも胸のむかつきを覚えます。

 

Cさんは技術畑の出世頭で、私が入社して以来、いくつかのプロジェクトで一緒に仕事をさせてもらいました。後輩への指導は厳しかったものの、面倒見も良かったことから、Cさんを悪く言う部下はあまりいませんでした。

 

他方、Cさんの女癖の悪さは有名でした。そんなCさんの女性とのトラブルを“武勇伝”として面白おかしく吹聴する社員もいましたが、後に笑いごとでは済まないことになるのでした。

 

それでも仕事で成果を上げ続けたCさんは、上からの覚えも良く、やがて役員に登用されました。誰の目から見ても、Cさんは順風満帆の人生を謳歌しているように見えました。

 

もう一つの家族

私はある時期、秘書業務に携わったことがあり、役員秘書を統括する仕事をしていました。その頃、Cさんは上級の役員に昇格間近と言うところまで来ていましたが、体調不良により長期療養に入ってしまったのでした。

 

秘書業務と言うのは、時に知りたくないことまで耳に入ってきます。残暑も過ぎ、気持ちの良い天気が続いていた頃でした。Cさんが末期の肝臓がんで来年の株主総会まで持たないかもしれないと言う話が伝わってきました。

 

Cさん本人は、重要な会議のある日には、入院先から出社するなど、仕事にかける熱意を持ち続けていましたが、顔は頬がこけ体も細くなり、普通で無いことは一目瞭然でした。

 

そして、年も押し迫った頃に、Cさんの秘書のTさんが、相談したいことがあると、私を個室に呼びました。

 

テーブルの上には、1枚の写真と数枚の便せん。写真は東南アジア系の女性が、小学校に上がる前くらいの男の子を膝に乗せて微笑んでいるものでした。便せんの内容は、現地の言葉で書かれていたので分かりませんでしたが、写真を見れば、これが何の写真なのか見当はつきます。

 

Tさんは入社2年目でしたが、秘書業務も板につき担当する役員からの評判も上々でした。ただ、本人は潔癖症で、女癖の悪いCさんの担当を外れたいと訴えていたのです。そこにこの封書が届いたことから、彼女のCさんに対する嫌悪感はさらに高まってしまいました。

 

便せんの内容を訳してみたところ、次のようなことが書かれていました。

 

「電話やメールをしても返事が無いのでやむを得ず会社宛に手紙を書きます。(男の子の名前)も私も元気に生活していますが、もう長い間あなたと会っていないので、寂しい思いを募らせています。今度はいつ会えますか。連絡ください」

 

Cさんには現地にもう一つの家族がいたのです。だからと言って秘書がそれ以上どうすると言う話でもありません。秘書は役員の仕事はサポートしますが、プライベートのことは業務の対象外です。

 

私は、Cさんに何も言わずに封筒を届けるしかないと思いましたが、上司に事の次第を説明し、指示を仰ぎました。

 

上司はCさんに現地妻と隠し子がいることを知っていました。Cさんがかつて彼の地に駐在していた頃からの付き合いだったようです。便せんと写真は上司が見舞いついでにCさんに渡すことになりました。

 

正論と悪意の狭間

年が明け、桃の花が咲き始めた頃、Cさんご夫婦は離婚しました。奥様の耳に隠し子のことが伝わったことが直接の原因でした。そして、それからひと月も経たないうちにCさんは亡くなりました。

 

役員が死亡した場合、通常は会社と遺族とで合同葬を行なうことになっていましたが、離婚したCさんには高齢の母親しかおらず、会社が通夜・葬儀を取り仕切りました。老母は、元奥様のことを“闘病中の夫を見捨てた悪妻”と吐き捨てるように言っていましたが、事情を知っている者としては、何とも居心地の悪い気分を感じていました。

 

Cさんに現地妻と隠し子がいることを奥様に伝えたのはTさんでした。それまで奥様はCさんの不貞を疑うことも無く、発病後は献身的にCさんを看病していました。それだけに、Cさんの裏切りを許せなかったのでしょう。Cさんの余命が幾ばくも無いことを承知しながらも、それ以上に自分に嘘を吐き続けた夫と一緒にいることが我慢できなかったのだと思います。

 

奥様の心中を察すれば、離婚も止む無しとは思いましたが、私はTさんに対しての怒りを抑えることが出来ませんでした。それは、単に箝口令を破ったことだけが理由ではありません。

 

私も上司も、Cさんのプライベートの問題には口出ししないと決めました。それは、隠し子問題はCさん自身がけじめをつけることで、他人の出番は無いこと、それと、残り僅かな人生を穏やかに送れるように、そっとしておいてあげようというのが理由でした。

 

ところが、TさんはCさんを許すことができませんでした。「たとえ病気であろうと、自分の配偶者を騙したままにしておくことは許されることではない。自分は、自分が正しいと思ったことをしただけです」。奥様にCさんの不貞を“告発”した理由を、Tさんはそのように述べました。

 

彼女としては自分の正義感を貫いたことで満足だったでしょう。しかし、一つの夫婦が間もなく死に別れる時に、自己満足としての正義感を振りかざす必要は無かったのではないかと私は思いました。

 

夫婦最後の時間をそっと見守ることだってできたはずではないか。Cさんに対する嫌悪、その仕返しではないのか。私の問に、Tさんはぽつりと、「それもあります」と答えました。もし、そうだとするなら、それは正義感では無く、悪意のある復讐です。私は嘔吐しそうになりました。

 

不貞行為をしながら、のうのうと生きることは許されない。配偶者への裏切りは断罪されなければならない。悪事を暴くのは正義だ。全て正論だと思います。しかし、告発する側の人間が、それによってカタルシスを感じるのであれば、それは純粋な正義感などではありません。