慢心の花が咲く(3)

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制御不能

社長秘書の交代に伴い、秘書室に不穏な空気が流れます。

 

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室長は、Hさんを異動させるべきという私の話に理解は示したものの、それはできないと一言。

 

来年の株主総会で社長が交代となること、新社長の秘書はHさんが担当することが決まっている、だから彼女を他部署に異動させることはできない、というのが室長の説明でした。

 

確かに来年は役員の改選期でしたが、社長はもう一期務めるものと思っていました。「Hさんが新社長の秘書になることが決まっているんですか?」率直な疑問を室長に投げかけました。「顧問が話を決めてしまったんだ。新社長とHとは顔見知りだしな」。顧問 - 元会長 - が最近になって、何度か役所のOBと酒席を開いていたこと、Hさんも秘書として同席していたことを思い出しました。

 

私は臍を噛む思いでした。「誰がどの役員の秘書になるかは総合的に判断する」。私がTさんに言った言葉が空しく感じられました。Hさんが新社長の秘書となることを自ら希望したのかは分かりませんが、少なくとも室長の与り知らぬところで勝手に物事が進むことがあっては、部下である秘書たちからそっぽを向かれてしまいます。

 

「まあ、仕方ないな」。室長は意外と気にしていない様子。宮仕えの身として、役員に逆らっても無駄なことだと達観しているのだと思いました。その頃を境に秘書室の雰囲気は悪化の一途をたどって行きました。

 

ある日、役員会議室で大きな会議がありました。海外からの要人を迎えてトップ同士の意見交換をするというもので、秘書室総出で案内やお茶出しを行うことになっていました。案内係には室長や私も加わりました。

 

ふと気がつくと、HさんとTさんの姿が見えません。他の秘書に尋ねても言葉を濁すばかり。大会議は無事に終わりましたが、忙しい最中に職場を抜け出した2人のため、残された人間に余計な負荷がかかった結果となりました。

一段落ついたところで、Y君が私を呼び止め言いづらそうに口を開きました。彼の話を聞いて私は呆気に取られてしまいました。

 

2人は副社長から絵画展のチケットをもらって“外出”したというのです。そんなことを私は承知していません。すぐに副社長に詰め寄りました。相変わらず暢気な副社長は自分がやったことが秘書室の混乱に拍車をかけたなどと思ってもいない様子でした。「勝手なことをされては困ります。副社長も本日の会議にお出になられていましたよね?」。私は2人が抜けたことで会議対応が大変だったことと、就業時間中に遊び歩くことを認めたら他の秘書に示しがつかないことを副社長に説明しました。「これからはこのようなことが無いようお願いします」。副社長は最後まで私が怒っている理由が理解できないという顔をしていました。

 

私は、終業時間間際に戻ってきた2人を応接室に連れて行き事情を聞きました。先週副社長から絵画展のチケットをもらったが、今日が最終日だった。副社長からは知り合いの絵画展なので是非見てくるように言われた、というのが彼女たちの言い訳でした。

 

私は彼女たちに、そんな話は聞いておらず、聞いたとしても就業時間中に業務外の外出は認めていない。まして、大きな会議で人手が必要な時に、上司の許可なく職場を離れるのはルール違反であることを伝えました。すると、Hさんは「私たちは副社長から言われたことに従ったんです。室長の了解ももらいました」。脱力感が体を襲ってきました。

 

その日の夜。室長と初めて口論になりました。室長は、2人の機嫌を損ねて職場の雰囲気が悪くなることを避けたかった言いますが、彼女たちの後ろに控えている副社長や元会長の顔も気にしていることが感じられました。私は、直属の上司がダメだと言うことを室長が覆すようなことでは、秘書室として統制が取れないと主張し、意見は平行線のまま時間だけが過ぎて行きました。

 

室長は「あまり難しく考えるなよ」と議論を打ち切りました。難しいことでは無いのです。役員は秘書として仕える対象であっても上司ではないこと。彼女たちの直属の上司は私であり、秘書室全体を統括するのは室長であること。それを彼女たちに理解させればいいだけなのです。上司が部下に阿ってしまっては組織の体をなさなくなってしまいます。

 

その日をもって、私は課長の職務を実質的に解かれ、相談役 - 3代前の社長 - の秘書に専念することとなりました。私は形式的には課長のままでしたが、室長が秘書たちの面倒を見ることになりました。そして私は会社人生の中で最も暇な2年間を過ごすことになるのでした。

 

 

無知の知を知らず

自信と慢心。努力を重ね、経験を積むことで裏打ちされた自信は、簡単には揺るぎません。他方、誰かに褒めそやされたり、おだてられたりした結果身に着いた慢心は張り子のようにとても脆いものです。

 

Kさんは、担当する社長が退任するタイミングで海外事業関連の部署に異動となり、その3年後、総合職への転換を果たします。物怖じしない性格は外国企業との交渉に向いていると思います。

 

Hさんは、新社長の秘書となったものの、秘書業務に不向きとの理由で自ら申し出て他部署に異動しました。結局社長秘書として1年も持ちませんでした。その後数年して結婚を機に退職しました。

 

Tさんは会計の仕事を希望し、2年間の秘書室勤務後に経理部に異動となりました。当初経理部はTさんの受け入れに反対したものの、副社長がねじ込む形で話がつけられました。経理部にとっては、何のバックグラウンドもないTさんは新入社員同然。しかし、年下の経理部員と同じ仕事をさせられることは、Tさんのプライドが許さなかったのでしょう。1年も経たないうちに、今度は海外事業部門への異動を希望します。

 

しかし、ここでも彼女は力を発揮することができません。“下っ端”として働くことが我慢ならなかったのです。また、総合職への転換試験も2度不合格となりました。海外事業部門を3年で見切りをつけた彼女が次に異動した先は広報室でした。彼女はここで今でも働き続けています。現在は一般職が廃止されたため、Tさんは念願叶って総合職となりましたが、年下の課長の下で補助的業務しか任されていません。

 

Tさんの不幸は、“褒めて育てる”ことを信条とする副社長に仕えたことなのではないかと思っています。父親に甘やかされて育った娘のように、「困ったときは父親が何とかしてくれる」と考え、自分から目的に向かって動き出そうという気構えが欠落しているのだと思います。

 

自分にとって初めての仕事なら、素直に教えを乞うべきところ、プライドが邪魔をしてそれすらできず、彼女は何の結果も出せずに複数の部署を渡り歩いて時間を無駄にしてしまいました。褒めておだてて育てられた慢心の花は、実も種もつけずに枯れるだけなのです。