和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

親の思いと子の気持ち

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親の背中

私たちの長女は、今年就職しました。自宅通勤なので、親の目から見ても、朝早めに起きる以外は学生時代とあまり変わりません。次女は大学2年生。今年はコロナ禍のため、まだ一度も大学へは行かず、オンラインで講義を受ける毎日です。

 

妻は、先月半ばから通常出勤となりましたが、不規則なシフトでの勤務なので、休日はマチマチです。私は、基本的に在宅勤務で週1~2日出社、と言う感じで仕事をしています。

 

そうなると、自ずと私と次女の家にいる時間が長くなり、夕食の支度も二人で手分けしてやることが多くなります。私が作る食事は、料理本を見ながらレシピに忠実に、と言うのではなく、冷蔵庫にあるものを見て、その日の気分で料理すると言う、行き当たりばったりな品々です。次女はそんな私の料理作法(?)を見て育ったので、やはり父親と同じような料理を作ることになります。

 

こんな一面だけで判断はできないかもしれませんが、子供はやはり親を見て育つのではいかと思います。台所に立つことを子供に強制したわけでは無く、面白そうなことを手伝っているうちに、いつの間にか料理ができるようになったのです。

 

もう一つ。次女は小学1年生のときに日本を離れ、その後徐々に漢字嫌いとなってしまい、小学4年生レベルの漢字しか書けないようになってしまいました。そのことが本人にとっては劣等感となり、益々漢字の勉強から遠ざかっていました。親としては、事あるごとに娘に漢字の勉強をするように促していましたが、全く効果がありませんでした。

 

しかし、去年から妻が漢字検定の勉強を始めると、不思議なことに次女も漢字の勉強を始めていました。妻が勉強している後ろ姿を見て、何を思ったのか。いずれにせよ、親が手本を見せるというのは大切なことだと思いました。親が口であれこれ言うよりも、自分でやってみてその姿を見せることの方が、子供のやる気を引き出すのではないかと思いました。

 

自分のことは自分で決める

そんな次女ですが、数年前までは大変な時期にありました。とにかく周囲の大人たちへ反発していました。まるで、全方位敵に囲まれた兵士のようでした。私たち夫婦にとっては、長女も反抗期、次女も反乱期という時期が2~3年重なった数年前が暗黒時代でした。

 

特に次女は、海外から帰国したばかりで、日本語が不自由な状態でしたので、学校の先生とも意思の疎通がうまく取れませんでした。また、駐在中の現地校では体験したことの無かった“同調圧力”にも辟易していたようで、クラスメートからも孤立していました。

 

そのようなストレスの捌け口は親しかいません。私も妻も八つ当たりの標的となりました。私は、自分の仕事の都合で長い間日本を離れ、妻や娘たちにいろいろな面で不自由な思いをさせてしまったことに負い目を感じていました。特に次女はまだ小学校に上がったばかりの頃から中学3年生までの多感な時期を海外で過ごし、期待に胸を膨らませて帰ってきた母国で自分が身を置く場を失っていたことに落胆していました。そんな彼女の姿を見ると、反抗的な態度を取っても、どうしても叱る気になれませんでした。

 

次女は何度も同じ言葉を吐きました。「自分のやりたいようにやらせてほしい」。言語学を学びたいから大学に進学したい。そんな娘の希望に、学校の先生は、「あなたの入れる学校は無い」と言い放ちました。代わりに勧める学校は偏差値を基準に、「入れそうな学校」でした。先生からは、「専願で受験すれば合格できる」と言われた学校でしたが、娘は首を縦に振りません。

 

自分のことを自分で決めて何が悪い。何故受ける前からダメだと決めつけるのか。合格する可能性が低いと受験を諦めなければならないのか。娘の問いかけに先生は何一つ明快な答えを出せませんでした。親である私たちも同じでした。

 

見放された者を拾う者

結局、先生はさじを投げ、娘は自分の志望する大学をAO入試で挑戦することになりました。妻と娘はそれ以前からぶつかり合っていましたが、学校の先生からも“見放されてしまった”ことから、二人の間はさらに険悪な状態になりました。

 

ところが、その頃すでに反抗期が終わっていた長女が、次女の良き理解者になってくれました。親には話せない愚痴や悩みも自分の姉には素直に話せたのだと思います。私も娘のことを信用しようと思うようになりました。何か根拠があったのかと言うと、そんなものはありません。しかし、これまで育ててきた娘を信頼できないということは、自分たちの子育てを否定することになると考えたのです。次女の選んだ道を批判するのでは無く、応援する立場に立とうと決めました。それから、妻も口出ししたい気持ちをぐっと堪えて、次女を見守るようになりました。

 

先生に見放された次女は、長女が家庭教師役を買って出てくれたおかげもあり、毎日夜遅くまで勉強していました。あんなに集中力がある子だとは知りませんでした。

 

秋に行われた入試は見事合格でしたが、娘はあまり嬉しそうな素振りを見せませんでした。本人曰く、「受かるつもりで受けたから当然の結果」だと。もう少し可愛げのある言い方ができないものかと思うのですが、喜びの感情を表に出さないのがかっこいいと思っているのかもしれません。

 

親の思いよりも子供の気持ち

自分が決めたことは何としてでもやり遂げたい、と言う次女の性格。おそらく、幼い時から彼女の行動にあまり口出しせず、自分で考えるように仕向けたことも理由の一つではないかと思っています。次女が生まれた時には、3歳になる長女がおり、私たちは、次女は長女を見習って育っていくだろうと、自分たちの都合の良いように考えていたのです。

 

しかし、その頃の長女は、今思えば、決して誰かのお手本になるような子供ではありませんでした。

 

長女が小さい時には、何かにつけ親が先回りして身の回りの世話をしていました。朝起きて、服を着替えさせてやり、食事中も口の周りを汚せば、ティッシュで拭いてやり、夜寝る時もパジャマを着せてやり・・・。本当は自分でやらなければならないことを、親が全て先回りしてやってあげていたのです。

 

また、習い事も然りです。長女は、妻が勧めた習い事を嫌な顔せず通い続けましたが、自分で「あれをやりたい」と言って始めたものが無いのです。そんな調子で、次女が生まれるまでの三年間を過ごしてきた長女にとって、自分で考えて自分で親にお願いして何かをするといった経験が完全に欠落していました。

 

結果、長女は依頼心の強い子に育ってしまいました。長女はここから、自分の意思で行動するという当たり前のことができるようになるまで、とても苦労しました。親としては、良かれと思ってやったこととは言え、娘を苦しめてしまったことは、大いに反省しているところです。

 

子育てはやり直しがききません。手を掛け過ぎてしまった長女と、手を掛けなかった次女。持って生まれた性格もあるのでしょうが、親との関わりは、生後に取得する物事に対する考え方や、自分の意思というものの捉え方に大きな影響をもたらすものだと思います。