和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

読み書きそろばん

読み書きそろばん

私が小学生の頃は、学校から帰ってくれば近所の友達と暗くなるまで外で遊んでいたものでした。家で授業の予習・復習をした記憶は無く、親もあまりうるさいことは言いませんでしたが、出された宿題と週二回の珠算塾だけは、サボることは厳禁でした。

 

計算問題や教科書の音読や漢字の書き取りは好きではありませんでしたが、私が漢字の書き取りの宿題を嫌々ながらやっていると、母は私の右手をピシャリと叩き、下手でも良いから丁寧に書けとよく叱られたのを覚えています。

 

「読み書きそろばん」 - 小学生の私が母親から、読み書きと計算くらいは出来ないと大人になってから苦労すると何度と無く聞かされた言葉です。

 

確かに、大人になってから、読み書きそろばんは役に立っていますが、それ以上に、計算問題を解いたり字を書いたりを繰り返すことで根気と集中力が養われたことの方が私にとっては意味があったのではないかと思うようになりました。

 

母は決して教育熱心では無く、私の成績の良し悪しに一喜一憂することはありませんでしたが、学校をサボることは許しませんでした。もちろん、何か深刻な理由があれば話は別だったのでしょうが、私の場合は、単にサボりたいこと自体が理由でした。あれこれと理由を考える私に、母は、逃げる言い訳をするなと一喝。そんな親心の有難みを理解出来たのはずっと後になってからでした。

 

子育ての最適解

親は、良い意味でも悪い意味でも子どもを導く存在で、その子の可能性を広げることも閉ざしてしまうことも親次第です。

 

以前、上の娘が不登校になった時のことを記事にしました。娘本人が一番つらかったのでしょうが、それを見守る妻や私も深く悩みました。

 

結局、私たちは、行きたく無ければ行かなくても良いと言う、子にとっても親にとっても一番楽な答えは選ばずに、約四か月間、周囲の人々に助けてもらいながら、娘が学校に戻る道を模索しました。

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その後、娘は無事に学校に通えるようになり、同年代の友人も多く出来ました。だからと言って、私は自分のやり方が正しかったと胸を張って言うことに戸惑いを感じます。私たち親子はたまたま運が良かっただけだったのかもしれません。

 

教育も躾も、親が子に対して良かれと思ってやっていることなのでしょうが、その結果が吉と出るか凶と出るかは、後にならなければ分かりません。親の考える最良の道が、子どもにとってそうとは限らないからです。教育の専門家が子育てに失敗することだってあるわけですから、子育てに共通の最適解など無いのでしょう。

 

「親の言うことを聞いておけば間違いない」と言えないのは、正しい教育、正しい躾なるものが私には分からないからです。時代とともに考え方も変わります。自分が正しいと信じていることが通用しないかもしれない。結局、私は子どもと一緒に悩むことしか出来ませんでした。

 

読み書きそろばんの大切さを親から教え込まれたはずの私でしたが、下の娘にそれを強いすることは出来ませんでした。読み書きが出来なければ苦労することが分かっていながら、親の都合で子供たちを海外に連れてきてしまった負い目がありました。

 

今、娘は小学校レベルの漢字からやり直しています。こんな思いをさせるなら、小さいうちに無理にでも読み書きの勉強をさせておくべきだったのかもしれません。