和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

子どもの教育と親の義務 (1)

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

サボり癖の延長線

前回の記事で、不登校児の話題に少しだけ触れました。

lambamirstan.hatenablog.com

 

不登校になる理由は様々です。いじめや体罰などで学校に行きたくても行けなくなってしまったと言うケースもあるでしょう。無理やり子どもを学校に通わせ続け、最悪の結果を招いてしまうこともあり得ます。そう考えると、不登校を一括りに議論することは出来ません。

 

しかし、 “何となく”学校に行くのが億劫になってしまったり、ほんの些細なことで学校に行きづらくなったりすることもあります。そのような、深刻ではない理由で欠席が繰り返された結果の不登校は、どこかで悪習慣を断ち切ることができたはずでは、と思います。

 

私自身、中学性の頃、将来の進路に対する不安や受験の重圧から、学校をサボったことが何度かありました。いや、その理由は後から思いついたもので、あの日学校をサボって、繁華街を彷徨って時間を潰していたのにさしたる理由などありませんでした。“何となく”学校に行くのが嫌だった、無駄に時間を潰していることの気楽さが心地良かっただけなのです。不登校は、本当に些細なことがきっかけになり得ます。

 

もし、あのまま、ずるずると学校に行かない日々を過ごしていたら、私もきっと不登校になっていたと思います。不登校は癖になるのです。

 

新天地で

私が2度目の海外駐在で北米に転居した時、娘たちはそれぞれ小学4年生と1年生でした。駐在の内示を受けた時から娘たちを英会話スクールに通わせていましたが、数か月の詰め込み勉強で語学がものにできるはずなどありません。

 

私は家族よりも3か月ほど前に現地に駐在し、家と娘たちの通う学校を探すなど、家族を迎える準備をしました。彼の地は、日本人学校が無く、日本語の補習校が土曜日のみ授業を行なっていました。そこで、駐在員の子女は、平日は現地校に通うことになります。エリアによって治安の良し悪しが大きく異なり、それは、生徒たちの通う学校の“質”に影響を与えます。従って、子どもをプライベートスクールに通わせるのでなければ、学校選びと家探しは、日本以上に慎重さが要求されます。

 

駐在先は駐在員が私一人。前任者は単身赴任だったので、学校事情などには明るくありませんでした。そこで私は、日系企業の集まりなどから情報を集めて、住む場所や学校を選ぶことにしましたが、現地では、駐在員家族が多く住む場所というのが何か所があり、自ずと、駐在員の子女が多く通う学校も限られていました。

 

駐在後、親しくさせて頂いた他社の駐在員の方からも、近所の手頃な物件の紹介を受けましたが、私は、せっかくの海外駐在であり、日本人のコミュニティにどっぷり浸かるよりも、現地の同年齢の友人を多く作ってもらいたいと思い、あえて日本人駐在員がいないエリアに住むことにしました。

 

私は、目ぼしいエリアをいくつか選び、そのエリアの学区にある現地校を見て回りました。現地校を数校訪問し、英語のネイティブスピーカーで無い生徒へのサポートの有無を確認しました。この点については、駐在前に調べた限りでは、海外からの移民の多いエリアでは、学校で英語の授業について行けない生徒に対して、別クラスで集中的に英語を教えるカリキュラムがあるらしいと言うことが分かっていました。私が訪れた学校でもそのようなカリキュラムがありました。話を聞くと、まず、学校が指定する公的機関で生徒の英語のレベルチェックを行い、生徒の語学力に応じたカリキュラムが組まれるようでした。

 

家族を迎え入れるまでの3か月は慌ただしく過ぎ、感謝祭が翌週に迫った頃、妻と娘たちがやって来ました。当時私は、この新天地で娘たちが伸び伸びと育ってくれることを期待していたのです。

 

娘の不登校

娘たちは、日本で英会話スクールに通っていたものの、学校では先生やクラスメートとの会話が全くできず戸惑っていました。しかし、私は、そのうちに慣れるだろうと楽観視していました。

 

ところが、新年を迎え、冬休みが終わると、娘たち、特に上の娘の様子が気になり始めました。学校にはスクールバスで通うのですが、ある日、妻が二人の娘をバス停で見送る際に、上の娘が学校に行きたくないと泣き始めました。下の娘も、姉のそんな姿を見て一緒に泣き始め、妻は仕方なく娘と家に帰ってきてしまいました。

 

すでに出社していた私は、妻から電話でその話を聞き、娘たちをすぐに車で学校に送り届けるように言いました。こんな時は駐在員一人の事務所は自由が利きます。私は秘書に事情を説明して、学校で妻と娘たちに合流することにしました。

 

学校の入り口の前には、困った顔の妻と、目を泣き腫らした娘たちがいました。まだ1時限目の授業には間に合います。私は娘たちを宥めすかして何とかそれぞれのクラスに送り届けると、その場でスクールカウンセラーとの面会を申し込みました。

 

新しい環境での娘たちの学校生活のスタートは、文字通り前途多難でした。(続く)