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子どもの教育と親の義務 (2)

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娘の不登校(続)

現地校に通い始めて1か月が過ぎたある日、上の娘は学校に行きたくないと言い出しました。泣いて嫌がる娘を宥めすかして何とかクラスルームに送り届けた後、妻と一緒にスクールカウンセラーと面会しました。

 

スクールカウンセラーは、学校生活全般に関する相談役です。私と同年齢くらいのその女性は、自身も移民2世で、非英語圏から転入することの苦労を身をもって体験していることから、同じような境遇の生徒への理解も深いものと私は期待していました。私が下見のために学校を訪れた際に、最初に対応してくれたのが彼女で、この学校に娘たちを通わせたいと思ったのも、彼女の人柄が決め手の一つだったのです。

 

私がカウンセラーに手短に事情を説明すると、すぐに、娘が入っている特別クラスの担当教師を呼び出してくれました。

 

カウンセラーのオフィスは、大人が4人入るには手狭なので、カフェテラスに場所を移してから本題に入りました。特別クラスの担当教師が、早口で娘の様子を説明しました。

 

娘は体育や音楽などは一般のクラスで授業を受けていましたが、その他の主要科目は“特別クラス”で英語が拙い生徒と一緒に授業を受けます。特別クラスに通う生徒は、娘と同じ学年では約20名。土地柄、ノンネイティブスピーカーの生徒たちのほとんどはスペイン語が母国語のようで、その他北欧系や東南アジア系が若干名。日本語を話す生徒は娘しかいませんでした。

 

娘には、一般のクラスでも特別クラスでも話をする相手がいなかったのです。休み時間も独り机に座ったまま時間を持て余していたようでした。おまけに娘は人見知りの引っ込み思案。何を聞いても返事が返ってこないため、特別クラスの教師は、娘にどのように対処していいのか困っていると言いました。

 

ノンネイティブの生徒は、一般の授業について行けるように英語の特別レッスンを受けられ、また、ハンディキャップがあるため、各教科のテストも、特別クラスの担当教師や副担当が付き添って受けられるなど優遇してもらえます。しかし、いつまでも優遇措置に甘えていられるわけでは無く、最長で2年を目途とし、その後は一般の生徒と同じ土俵に立たなければなりません。成績が振るわなければ、小学生だろうと留年することもあり得ます。

 

カウンセラーは、“まだ通い始めたばかりだから”と前置きした上で、もし、この状態が長く続くようなら、無理に学校に通わせる必要は無いと言います。私は、自分の聞き間違えかと思いましたが、カウンセラーは、“ホームスクーリング”も今後の選択肢として考えたらどうか、と私に提案しました。

 

初耳の言葉に、私はそれを「不登校児向けの自宅学習」と勝手に理解すると同時に、まだ1か月しか学校に通っていない娘を学校は見放すのか、と不快な感情が湧き上がってきました。

 

恐らくそのような気持ちが顔に出てしまったのでしょう。カウンセラーは言葉を選びながら、私を諭すようにゆっくりと話し始めました。

 

学校のカリキュラムでは物足りず、より進んだ内容を学ぶためにあえて自宅学習を選択する親子がいること、一方で、集団生活に馴染めずに不登校となってしまった生徒がいること。それぞれの事情はあるものの、ホームスクーリングは、教育を受けるための手段の一つだとカウンセラーは言います。学校に馴染めないことは恥ずかしいことではない。それぞれの子どもに合った学習方法を探してあげるのが、親や教師の役割なのだと強調しました。

 

ホームスクーリングは、誰でも好き勝手にできるわけでは無く、学校側と相談した上で、親あるいは家庭教師による個人授業が行なえる環境であること、必須科目を英語で教えること、学校を管轄する当局への各種レポート提出など、それなりの条件を整える必要があるようでした。ともあれ、大事なのは生徒本人の意思。本人がどのような形で勉強に取り組みたいのかを尊重すべきだと言うのがカウンセラーの伝えたいことでした。

 

結局その日、上の娘は学校から帰ると部屋に閉じこもったままでした。帰宅が遅かった私は、翌朝、出勤を遅らせて娘と話をする時間を作りました。娘は、クラスメートや教師から話かけられても何を言っているのか分からず、また、自分の気持ちを伝えることも出来ず、周囲から自分が取り残されている気分に陥っているようでした。

 

私は前日に聞いたホームスクールの話を娘にしました。娘は、声を押し殺して泣くばかりで会話になりません。その日は学校を休ませることにして、私は再びカウンセラーを訪ねました。

 

連日の訪問でしたが、カウンセラーは嫌な顔もせずにオフィスに私を招いてくれました。彼女は、嫌がる子を無理に学校に連れてくるのはやってはいけないと私に言いました。そして、家庭教師を紹介するので、しばらく家で勉強させてはどうかと私に尋ねました。

 

私はカウンセラーの提案を受けることにしました。娘の不登校を認めることに蟠りはありましたが、この際私自身の気持ちは脇に置いておくしかありませんでした。(続く)