和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

結婚と損得勘定

f:id:lambamirstan:20191026045002j:plain

結婚しないという選択

ひと昔前まで、女性は就職してもいずれ結婚すれば退職するという考えから、企業も女性には“一般職”という枠を設けて事務補助的な仕事しか割り当てなかった時代がありました。

 

しかし、男女雇用機会均等法が施行され、女性の社会進出が進むと、企業内の役割における男女の別は無くなりました。会社としても相応の責任ある仕事を担っている女性には、結婚しても仕事を続けてもらうことの方がメリットがあるわけです。

 

かつて、それなりの収入があり、束縛されない生き方を求めてあえて結婚しない男性のことを“独身貴族”と呼んでいました。しかし、役割や給料で男女の差が無くなってくると、生計を男性に依存せずに自立した生き方を求める女性が増えてきました。共同生活に伴う様々な制約や独り身の気ままさを考えれば、女性としても“あえて”結婚しない道を選ぶことは合理的だと言えます。

 

結婚に“適齢期”は無い

他方、結婚願望を持つ男女が消えて無くなったわけではありません。ただし、ゴールインのタイミングはひと昔前よりも遅くなっています。それもそのはず。大学進学率 - 特に女性の大学進学率 - が高まり、20代前半になってようやく社会人としてのスタートを切る若者が増えると、彼らは仕事やプライベートを楽しんでいるうちに、あっという間に30代になってしまいます。付き合っている相手がいていずれは結婚したいと考えている人でも、実際に結婚に踏み切る年齢は30歳前後になるというのは自然な流れのような気がします。

 

このように晩婚化が進んで、30代の初婚も珍しいことで無くなってきました。周りを見渡しても独身の知人がまだまだいるとなると、20代で焦って結婚相手を探すのではなく、独身生活をエンジョイして、30歳を過ぎてから“身を固めれば”いいと考える人も増えてきます。

 

結婚適齢期”という言葉自体、最近ではあまり耳にしなくなりましたが、かつて、結婚して子供を持って一人前という風習が強く残っていた時代には、出産して子育てをするためには、20代で結婚するのが望ましいという考えがありました。しかし、相手がいてお互いに合意すれば、いつでも結婚はできるわけです。そういう意味で、結婚そのものには適齢期など存在しません。自分が結婚したいと思った時が“適齢期”です。

 

結婚相手のハードルを上げてしまう自分

学校を卒業して大きく変わるのは人間関係の幅です。ほぼ同年齢の友人が人間関係の大部分を占めていた学生時代と打って変わって、仕事を始めると、職場や取引先などで年齢も考え方も異なる“人種”との付き合いが加わります。それに伴い、物事の考え方、価値観も変わって行きます。結婚観もその一つです。

 

結婚観というものは、年齢とともに変わります。若いうちは社会経験も浅く、収入や社会的地位よりは、気が合う、一緒にいて楽しいなどお互いの感性を判断の拠り所にして付き合う相手ができ、お互いに結婚を意識するようになるのではないでしょうか。すなわち、最初から結婚ありきの交際ではないということです。

 

これが、仕事をしてお金を稼ぎ、自活し始めると、その大変さを身をもって体験することなります。そして、結婚が好き合った相手と一緒に暮らすという単なる“憧れ”では済まされず、自分の人生を左右するものであることに気づかされます。また、自分より先に結婚した友人・知人から、結婚の実体験を聞かされることは、自分の結婚相手に対する条件を上げてしまうことにもなります。

 

結婚生活がうまく行っている知人からの話を聞けば、自分もそのようなパートナーを見つけたいと願い、結婚に失敗したという話を聞けば、自分はああはなりたくないと思います。結婚して損はしたくない、苦労はしたくない、そう考えるうちに、自分の結婚相手への条件が高くなり、知らないうちに選択肢を狭めてしまうことになります。

 

欲張り損

若い頃は、結婚するなら一緒にいて楽しい、気の合う相手がいい、と単純明快な考え方だったのが、年齢を重ね、実社会での経験や周囲の“実例”に接するにつれ、できるだけ“良い条件”の結婚相手を見つけたいという欲が先行することになります。恋愛の延長線上にあるはずの結婚が、自分の欲を満たす道具になってしまうのです。

 

「婚活」で相手を探すのは結構なことですが、結婚が自分の欲を満たすための手段になってしまうと、結果として損をすることになります。

 

“良い条件”の結婚相手を見つけたいと思っている人が、“良い条件”を備えているかというと話は別です。若い女性と結婚したいと願う中年男性。高収入の男性と結婚したいと願う収入の低い女性。それぞれ逆の立場に立った時、果たして自分が選ばれるのかと考えると、その答えは残酷です。若さや高収入など、自分に無いものを相手に求めるとき、その相手が望んでいるものを自分が持っていなければ、相手から選ばれることはありません。

 

 

私はクリスチャンではありませんが、結婚式の誓いの言葉は、真面目に受け止めるべきだと思っています。

 

健やかなる時も病める時も

富める時も貧しい時も

愛し、敬い、いつくしむことを誓いますか

 

結婚は、お互いに至らない点を補い合いながら生きて行くことであって、どちらか一方が得をしたり損をしたりするものであってはいけません。