続 結婚と損得勘定

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パートナーと言う道具

私の職場の元先輩の話です。その元先輩、O子さんは妹のM子さんと共にうちの会社に勤めていました。私が入社3年目から4年目で、O子さんはちょうど30歳、M子さんは20代半ばだったと記憶しています。

 

妹のM子さんは、学生時代の彼氏と結婚して退社しました。一方のO子さんは、当時私の2つ上の先輩、Kさんと付き合っていました。社内では、二人の結婚も間近との噂も流れていましたが、意外なことに、それから半年も経たずに二人は別れてしまいました。聞くところによると、O子さんは、妹のご主人の勤め先を意識しており、“もっと良い会社”の男性と付き合いたいと言う理由でKさんを振ったのでした。

 

私はそのことをだいぶ後になってから – O子さんの結婚が決まってから - Kさんから直接聞きました。O子さんはKさんを振ってから2年ほど後に、同業他社の男性と結婚したのですが、私やKさんはその方と仕事上、親しい付き合いがあったので驚きでした。

 

Kさんは、O子さんのことをかなり恨んでいて、独身を貫いている理由を「O子のせいで女性不信になったから」と、今でも冗談とも本気とも取れる言い方で話のネタにするくらいです。

 

さて、元の話に戻ると、私やKさんと、O子さんのご主人のHさんとは半年に1回くらいのペースで飲みに行く間柄でした。O子さんやM子さんの様子はHさんから入ってきました。

 

妹のM子さんは結婚後、男の子2人の母となりましたが、HさんとO子さんの間には子供はいませんでした。そして、それから3年足らずで二人は離婚してしまいます。

 

ちょうどその頃、私が最初の海外駐在のために日本を発つ直前に、Hさんが壮行会を開いてくれました。その際に、Hさんの口からO子さんと別れたことを告げられました。そして、問わず語りに、二人の間に子供が出来なかったことでO子さんが“参ってしまって”夫婦関係を続けられなくなった、自分は用済みになったと、Hさんは話しました。

 

妹夫婦への対抗心は子供だけに限らず、住まいや車など生活全般に亘っていたそうです。O子さんの様子が常軌を逸するようになると、Hさん自身も体の変調を覚えるようになり、夫婦共倒れになる前に離婚を決意したようでした。

 

それ以来、O子さんの様子を窺い知ることは出来ません。一方のHさんは、それから10年近く後、40歳を過ぎたばかりの時に同じ勤め先の女性と結婚し、その後、男の子を授かりました。

 

O子さんが妹への対抗心からHさんと結婚したとは思いたくありませんでしたが、もし、それが本当なら、HさんはO子さんに都合良く利用され、振り回されただけの結婚生活を送ったことになります。

 

分岐点としての結婚

以前、結婚と損得勘定について記事を書いたことがあります。

lambamirstan.hatenablog.com

 

経験を重ね、良い意味でも悪い意味でも知恵がついてくると、パートナー選びがより現実的・打算的になるのではないかと思います。それは、恋愛経験に限らず、学業を終えて仕事に就き、周囲の既婚者からの話を聞くにつれ、結婚生活の現実を自分なりに理解しようとする中で、純粋な恋愛対象探しが、理想の結婚生活実現を前提とした相手探しに変質するからではないでしょうか。

 

“打算的”と言うのは悪い言葉かもしれませんが、パートナー探しの意味合いが、好き嫌いと言う心情的なものよりも、“経済的により安心して暮らせる環境”や“将来自分の面倒を見てくれる人”と言う実利的なものになると言うことです。自分にとって理想のパートナーを射止めることは、その後の人生の成否を左右することになると言う考え方です。

 

あるいは、自分を良く見せるための装飾品と勘違いしている人もいます。パートナーの容姿や学歴、または勤め先を人一倍執着する人は、周囲の目を気にする一方で、相手の本質に目を向けることをしません。

 

そういう人々にとっては、結婚は人生の分岐点なのでしょう。それによって、自分の人生が左右されると信じているのですから。

 

合流点としての結婚

しかし、高収入、容姿端麗、家柄、学歴 - それらの優劣を基に、自分の将来を託す相手を決めてしまうことが是なのか。そもそも、自分の行く末を誰かに委ねることは正しい選択なのかと言うと、私は疑問を感じます。

 

職業や年収に重きを置いて相手を選んだとしても、相手がリストラに遭ったり、事業に失敗して財産を失ったりすれば、結婚相手を選んだ際の前提条件が狂ったことになります。パートナーが病気や不慮の事故で介護が必要な状態になれば、自分の面倒を見てもらうどころでは無くなります。損得勘定だけで決めた結婚であれば、その時点で相手と共に暮らす理由が無くなってしまいます。

 

そう考えると、結婚を人生の分岐点にしてしまってはいけないのかもしれません。分岐点では無く、それまで全く別の道を歩んできた誰かとの合流点と捉えるべきではないでしょうか。そのように合流できる相手こそが、一生を添い遂げるパートナーになるのだと思います。