和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

礼服のクリーニング

先月、仕事用のスーツの多くを処分したのですが、手元に残すスーツと礼服をクリーニングに出しました。礼服は、四年前に従姉が他界した時に袖を通したきりで、その後は一度も出番がありませんでした。

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以前は、社員の家族に不幸があれば、通夜や告別式に参列するのが普通でした。葬儀の手伝いに駆り出されたこともありました。年に数回でも弔事に関わると、たとえ生前に自分が一度もお会いしたことのない方でも死を悼む気持ちが湧いてきてます。

他人様の死を、自分の心持ちを正すのに“利用”するのが良いのか悪いのかは別として、若い頃の私にとって ― 少なくとも父親が亡くなる前までは ― そのような場に自分を置くことで、自身の生き方や家族との接し方を考えさせられ、神妙な気持ちになったものでした。

今は、香典・弔電辞退、会社関係者などの会葬もなしの家族葬がほとんどです。それでも、社内で訃報を回す慣例(?)は残っています。身内に不幸のあった社員がしばし休暇を取ることを、会社として気遣う意味があるのか、私にはよく分かりません。いずれにせよ、同僚の身内の不幸は、足を運んで弔意を示すものではなく、遠くから思いやるものへと変わりました。

同じく、慶事への出席もなくなりました。最後に「会社関係者」として披露宴に呼ばれたのがいつのことだったかすら覚えていません。

私の礼服も、身内の不幸がない限りクローゼットの奥に吊るされたままなのでしょう。