和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

八月

まだ私が小学生の頃、八月十五日はどこのテレビ局でも終戦特番を終日流し続けていました。そのことに不平を漏らす私に、父は「よく見ておけ」とだけ言いました。

生前、父は自身の戦争体験をほとんど語りませんでした。唯一、東京大空襲の際に死体を跨いで逃げおおせた話を聞かされた記憶があるだけでした。

子どもの私にとって、自分が生まれる三十年も前のことは大昔の話でしたが、戦争体験者の父や母にとっては、ついこの間の、生々しいつらい出来事だったはずです。

思うに、終戦から二十数年後に生まれた私は、その後、命の危険に晒されることなく、間もなく還暦を迎えようとしています。

戦争に巻き込まれることもなく、震災に遭うこともなく、不慮の事故や事件で命を落とすこともなく、ここまで生きてこられたのは、ただ運が良かっただけ ― 私はそう考えます。

年齢を重ねるにつれて薄らぐ“欲”と、反対に、私の心に染み出してくる充足感の正体は、普通であることへの感謝なのだと思います。