和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

謝罪と勝ち負け

「謝って済むなら警察は要らない」という言葉は、私たちの文化に根付いています。確かに、多くの場合、謝罪は問題を解決する第一歩です。しかし、最近の社内を見渡すと、謝罪を「勝ち負け」の一環として捉えられ、頭を下げることを拒む社員が増えているような気がします。もしかしたら、会社の外でも同じような傾向にあるのかもしれませんが、幸いにして私はそのような状況に巻き込まれたことはありません。

 

謝罪は、単なる言葉の羅列ではありません。それは、誠実さ、謙虚さ、そして他者への尊重を示す手段です。謝罪は、過ちを認め、修正するための機会でもあります。それを「敗北」の意味と勘違いして、自分の立場を守ることや自説を曲げないことばかりに拘り、過ちを認めることができなければ、やがて相手にされることもなくなるでしょう。

 

謝罪は、強さと誠実さの証です。謝罪することは、自己中心的な立場を超え、他者の感情や立場を尊重することです。謝罪は、問題を解決するための最初のステップであり、信頼関係を構築するための基盤です。

 

先日、社内の些細な出来事から、若手社員にそんな話をしました。そして、その後で、そんな年寄りの説教をしてしまった自分に気づき、相手に“謝罪”したのでした。

 

しかし、私の本心としては、これからの人に謝罪の大切さを理解してほしかったのです。謝罪は、職場でのコミュニケーションや人間関係を円滑にするためのスキルです。自分の過ちを認め謙虚に謝ることで、成長することができます。

 

謝罪は強さの証です。私は「勝ち負け」ではなく、共感と誠実さを大切にしたいと考えます。