和尚さんの水飴

老後の前のハッピーアワー

トフラーとオーウェル(2)

1984

ジョージ・オーウェルの「1984」を初めて手にしたのも私が中学生の頃でした。アルヴィン・トフラーの「第三の波」は、情報革命がもたらす負の影響とともにそれを乗り越えるためのヒントを与えてくれましたが、「1984」で描かれた近未来には希望の光はありませんでした。

 

もっとも、未来学を扱った学術書ディストピア小説を同列に扱うのは間違いかもしれません。しかしながら、中学生の頃に私にとっては、フィクションだと分かっていても、オーウェルが描く近未来は生々しく、現実味を帯びたものに感じられました。

 

東西の冷戦下だった80年代。社会主義国家では監視や言論統制により国民は抑圧されて生きている一方で、日本や西側の諸国では自由と人権が保障された恵まれた環境なのだと、私は教えられました。

 

それまで、学校や書籍を通じて得た情報や知識に疑問を覚えることのなかった私が、「1984」を読んで感じたことは、「果たして自分は自分の頭で考えているのだろうか」という素朴な疑問でした。

 

1984」の主人公は、政府に対しての反抗を試みるものの、最後は拷問と洗脳により服従させられるのですが、主人公や一部の登場人物を除けば、“その他大勢”は抑圧されていることすら気づかないように巧妙に支配されていたことになります。

 

自分の気付かないうちに洗脳され思考を操作されている可能性はないのか、正義は本当に正義で、悪は本当に悪なのか - 自分がそれまで学んだ、歴史や社会全般の成り立ちを理解するための拠り所たる前提条件に疑問を感じてしまうと、何が本当で何が嘘かが分からなくなってしまいます。そんな怖さをオーウェルの小説から学びました。

 

未来の明暗

SNSや私が今こうして書いているこのブログも、政府やどこかの企業が監視や検閲を行なっているかもしれません。フェイクニュースなどの情報操作によって、私たちは嘘を真実だと思い込まされている可能性もあります。

 

その一方で、トフラーが予言した、情報革命の“正の影響”も生まれています。一元的・権威的だった常識や規範は、より多元的で自律的な価値観に照らされて判断されるようになりました。ライフスタイルの多様化はその表れなのだと思います。

 

情報化を推し進める技術に関して、トフラーは、個人の創造性を高めるために活用されると予言しました。他方、オーウェルは、国家が個人の感情や精神を破壊するために悪用される社会を描いています。私たちは、どちらの未来に進んでいるのでしょうか。